別海から来た女 ― 木嶋佳苗 悪魔祓いの百日裁判/佐野眞一

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北原みのり氏の『毒婦。』により「木嶋佳苗」に、惹き付けられてしまったので、佐野眞一氏の「木嶋佳苗」も読まなくてはと思っていたのですが、この2冊は、やはり両方読んでおいて正解だと思いました。

(以下、太字は本書から。省略して引用しています)

第一部「別海から来た女」で、著者は、佳苗が高校時代まで住んでいた北海道「別海(べっかい)」に注目する。

東京23区の2倍の面積をもちながら、人口は1万6千人しかいない大酪農地帯で、司法書士の父をもち、クラスで唯一ピアノが弾ける佳苗は、町のエリートだった。その佳苗と彼女の母親にピアノを教え、家族ぐるみでつきあっていた医者夫婦の妻から、佳苗は、小学生時代に、貯金通帳を盗むという事件を起こしていた。

衝撃的な証言だった。家の中の小銭をくすねるくらいなら、幼さゆえの出来心で済まされる。だが貯金通帳となると、話は別である。木嶋はたぶん生得的なサイコパス(反社会的人格障害)である。木嶋の幼少期は、特別に貧しい環境にあったとも、ネグレクトや性的虐待といった激しい精神的ダメージを受けたとも思えない。

たしかに、この記述からは、生得的な「異常」という判断もやむ終えないと思う。お金や、物ではなく、小学生が「貯金通帳」に興味をもつことも、佳苗のような早熟な子供が、それを実際に換金することの困難に気づかないというのも、不思議を通り越して「不気味」すら感じた。

ただ、著者は、佳苗の母親の実家に取材し、そのインターフォン越しの声から

あくまで声の印象だけだが、憔悴している様子はなかった。むしろ声の調子は明るく、それが却って奇異だった。

という、凡庸なジャーナリストやマスコミと同様な「印象取材」や、その後も、著者は、事件に関する町の噂を聞くため、別海の飲み屋に取材し、

「木嶋佳苗のお父さんは五年ほど前に交通事故で亡くなったんだけど、交通事故に見せかけて娘の木嶋佳苗が殺したっていうのがもっぱらの噂なの。」

という証言を得るものの、その事件の取材も浅く終了してしまって、その噂が、当時の事件直後のものなのかもはっきりしない。

その他、本書には、木嶋佳苗の意味を探ろうとしているものの、全体的に薄味なものになってしまっていると感じる点が多かった。それは、この事件がインターネットの普及によって起きただけでなく、凶悪犯罪がTV報道だけで過熱していた頃とは異なり、「稀代の毒婦」から「木嶋佳苗被告は声がかわいい」「案外イケてる」 までのイメージの変遷が、取材のスピードよりも早く、

著者は、そのイメージに再度「疑惑」を呈したものの、新たに話題になった「木嶋佳苗像」を「サイコパス」と定義したのでは、著者も語っているように、

私たちはこの事件からなぜ目を離せないのか。
それはおそらく、この事件に関心をもつすべての人が、木嶋佳苗にだまされた人に、
いくらか似ている自分に無意識のうちに気がついているからである。


の答えは出ない。佐野氏は、

佳苗のシティギャルへの憧れも、その行動様式も“シティギャル”には、絶対真似できないふるまいだったことを、木嶋本人は気づいていない。

とも書いていますが、佐野氏が、うっかり露呈してしまった“シティギャル”への評価の高さに、佳苗のどこかに「いくらか似ている自分」を発見してしまう女子の多くは「苦笑」したことでしょう。

また著書は、別海での取材から2年3ヶ月後の死刑判決の直後に公表された、木嶋佳苗の手記に対して、

この手記を読んだ者の中には「勾留生活も、本があれば無聊に苦しむことはありません」といった文言や、立花隆や小倉千加子などの著者の読書遍歴をあげて「相当の教養の持ち主」と驚いた人もいたようだが、私から言わせれば、こういう連中は人間を深く洞察する観察眼が欠けている。

これだけ書き連ねながら、読む者に何の感動も与えない文章を書けることの方が、むしろ驚きだった。すべてどこかで聞いたことのある文章の切り貼り、パソコン用語でいえばコピペである。いくら読んでも、木嶋が何のためにこの手記を書いたかわからない。


と語る。私にも、佳苗の文章が、なんのために書かれているのかはわからないし、佳苗には死刑から免れたいという気持ちがないとは思えないものの、しかし、殺害しなかった被害者の証言にあるように、彼女は、睡眠剤を飲ませ、財布からお金を抜き取った相手から、逃走もせずに再度会い、また、その相手にまったく同じように睡眠剤を飲ませるなど、犯行の発覚を恐れるどころか、むしろ、犯行の意志を伝えようとしているとしか思えないような行動をとっていたり、

そもそも、彼女の事件は、お金目当てで近づいた男から離れるのに「保険金をかけずに」殺害しているという不可解さにあり、それは、彼女が、少女時代から窃盗に抵抗がなく、どれほどの嘘つきであったとしても、まったく解明できない「謎」で、

私には、そういった佳苗の不可思議さを知るうえで、彼女の手記はとても興味深く、また、その言葉遣いや、その読書遍歴にある著者の名前から、教養を感じたからでなく、本書のような「どこかで聞いたことのある文章」や結論とは違った「オリジナリティ」に、今のアラサーより若い女性に共通する男への「絶望」を感じ、文学的に興味をもったのだと思う。

木嶋佳苗にのめり込んだ、北原氏と違い、佐野氏は、彼女に騙された男たちを不甲斐ないと思う気持ちからか、佳苗を突き放そうとすることに徹していて、それは、彼女に「いくらか似ている自分」を感じてしまう、私には良い読書経験でした。

◎[Amazon]別海から来た女―木嶋佳苗 悪魔祓いの百日裁判

でも、彼女の手記を高く評価することが「人間を深く洞察する観察眼が欠けている」との主張には、まったく同意できないので、

下記に、佐野氏が「コピペ」と評価した、佳苗の手記を再度「リンク」しておきます。

◎[死刑判決・木嶋佳苗被告の手記を読む]朝日新聞 読後雑記帳

◎参考書評「極東ブログ」



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Commented by kuma at 2012-10-09 22:05 x
佐野さんの本も、北原さんの本もまだ読んでいないんですが、木嶋佳苗被告の手記はこちらからのリンクで始めて読ませていただき、やはり興味深かったです。「コピペ」っていう感じはしなかった。
ただ、木嶋被告が自分で言う「罪」とか「闇」っていったいどんなものなんだろう、とか、彼女がよく使っている「成長」というのはどういう意味なんだろうとか、いろいろわからないことがありました。
Commented by yomodalite at 2012-10-10 10:59
kumaさんのコメントを見てから『別海』と『毒婦』の両方に「極東ブログ」の素晴らしい書評を追記しておいたんだけど、佐野氏の本の残念な点も鋭い点もそこに書いてあるとおりで、サイコパシーと母の関連も興味深いのだけど、

デヴィッド・リンチが『大きな魚をつかまえよう』の中で「ロスト・ハイウェイ」の脚本を書いているときに、O・J・シンプソンの裁判が頭から離れなくて、シンプソンが笑みを絶やさないでいられるのは「心因性遁走(サイコジェニック・フーガ)」で、計り知れない恐怖から抜け出そうとして、心そのものが事実を虚偽の出来事に変えてしまう … というようなことを書いていたのを思い出して、、

「彼女自身はそれを虚言だと思ってはいない。自分の語るセレブの物語ではきちんとセレブを生きて、あるいは男によってはかわいい女でもあったりもする」(つづく)
Commented by yomodalite at 2012-10-10 10:59
というような虚言癖の女が「殺人」に対して、それも必要のない殺人を犯してしまうのは、「父の死の真実」に原因があるのかも。。

佳苗に好意的な『毒婦』でも、犯行自体は疑ってはいないにも関わらず、佳苗に取り憑かれてしまっている、、その「悪魔払い」のために、佐野氏はあえて「突き放した」書き方をしているという部分もあるように思えるのだけど、この「手記」に登場する暴力的な検事は、実際に厚生省の村木厚子さんを恫喝した検事と同一人物で、、佳苗は本当に嘘をついているという意識がないみたいだし、「ある種の男性には熱烈に支持されてきた」ということも、すごくよくわかるんだよね。
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by yomodalite | 2012-10-09 13:12 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(3)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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