黄金律に従おう(註釈1)

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☆黄金律に従おう『The Michael Jackson Tapes』の続き

カルマを完全に否定したことも、ここで、あらためて正義を信じないと言いきったのも、MJがこれほど信念を持っているのは、彼が「思想」レベルで物事を考えているからで、この会話は、彼の2万冊におよぶ読書がどのようなものだったかが透けて見えるような内容だと思いました。

そして、この会話の後に起こった裁判のときの態度も、言葉だけではなく、全身でそれを表現するものだったと思います。

人種差別、宗教、反ユダヤ主義[1]で、シュムリーは「マイケルはユダヤ人に直感的に親近感を抱いていた」と言っていました。それは裏を返せば、シュムリーが、MJに親近感を抱いていたということだと思いますが、2人の「正義」に関する考え方には、かなりの隔たりがあるようです。

正直なところ、シュムリーの「ホロコースト絶対主義」による、度を超えたユダヤ擁護を聞いていると、わたしもちょっぴり「反ユダヤ」的な心情に傾いてしまいそうになるのですが、、

MJは人種で差別することは絶対にするべきではないということを「理想主義」でなく「現実主義」として語ろうとし、また、シュムリーは、人種差別、宗教、反ユダヤ主義[2]で「MJが、ヒトラーのような邪悪な人間を許すことができるのは、彼が純真だから」と言っていますが、私には、MJの考えは歴史をよく学んでいるからとしか思えません。

信仰者が少ない日本では、宗教と言えば「魂の救済」という印象が強いですが、歴史好きのMJからは、宗教の、思想、法律、政治のツールとしての視点が強く感じられます。

彼の固い信念がどのように育まれたかについて、多少でもお届けしたいという気持から、少々メンドクサイ感じのことを書いちゃいますけど、、、

夜露死苦っ!


☆註1

SB:君は、正しいことをした人には報酬が与えられ、犯罪者は罰せられるべきだと思わないの?善良な人は繁栄し、悪人は失脚し落ちぶれるべきだとは思わないということ?

ほとんどのMJファンでも、MJではなく、シュムリーと同じく「正しいことをした人には報酬が与えられ、犯罪者は罰せられるべき… 」と考えていませんか? そして、そうでなければ、人類も、地球の未来もないと考えていませんか?

これに関して、下記も含め、今後もなんとかMJの考えを「解説」したいと思っているんですが、、、

☆註2、3

A famous Jewish philosopher named Maimonedes said "Habit becomes second nature" and they have done. They become evil.

SB:有名なユダヤ人の哲学者マイモニデスは言った。「習慣は第二の天性なり」


"Habit becomes second nature" で、検索すると、カバラー(ひと言でいうと、ユダヤ教の伝統的神秘思想)系のサイトが上位に並び、私の訳語「習慣は第二の天性なり」で日本語検索すると、この言葉は、古代ギリシャの哲学者・ディオゲネス(Diogenes)の言葉として紹介されていることが多いようです。

ディオゲネスは、紀元前412年 - 紀元前323年の人で、マイモニデスは、1135年 - 1204年なので、オリジナルは、やはりディオゲネスの可能性の方が高いのかもしれません。

わたしが、ここまでに仕入れた知識をもとに、たぶん、こうなんじゃないかなぁというレベルで、話を進めると、

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は「聖書」を同じくする宗教で、ユダヤ教は旧約聖書をバイブルとし、キリスト教は、旧約聖書と新約聖書の2つをバイブルとしていますが、ユダヤ教では新約聖書を認めておらず、旧約聖書の編集内容も異なっていて、ユダヤ教では、聖書は『タナハ』『ミクラ』と言い、

『タナハ』は、下記の3つで、それぞれの頭文字「TNK」に母音を付けて、タナハと呼ばれている。

・トーラー(「モーセの五書」と呼ばれる。Torah)
・ネイビーム(預言者。Nevim)
・クトビーム(諸書。ヨブ記、箴言、ダニエル書を含む11巻が含まれる。Ketubim)

マイモニデスは「中世の最も偉大なユダヤ哲学者」と呼ばれている人なんですが、彼の著作でもっとも有名なのは『迷える者たちへの導きの書』(「迷える者の手引き」)で、この著書により、彼はユダヤ教にアリストテレス主義(事物や物事にはすべて原因と結果がある)を導入したと言われています。

◎アリストテレス(紀元前384年 - 紀元前322年)Aristoteles
◎マイモニデス(1135年 - 1204年)Moises Maimonides

これは、現実主義(リアリズム)の元祖であるアリストテレスの支持者たちによる、一神教批判に対し、神の実在は証明可能で、アリストテレスの論理によって証明可能である。とする思想書で、ギリシャ哲学とユダヤ教神学との調和を目指したもの。

シュムリーが「正義判断」に関して、審判にとても熱心なのは、この物事にはすべて「原因」と「結果」があるという考えから来ていて、それは、彼の神の存在意義にも関わる根幹です。

アリストテレスは、イスラム教にも大きな影響を与え、また、ダンテの『神曲』にも多大な影響を与えていて、3大宗教は、それぞれ「聖書」を、どう現実にあわせていくかを巡って、工夫をこらしているというか、苦悩していくわけですが、

ユダヤ教よりも早くから、アリストテレスの影響が大きかったイスラム教と、マイモニデスによって、リアリズムが導入されたユダヤ教は「拝金」を肯定し、合理主義思想に傾いていくのですが、キリスト教はそこにもっとも苦悩し、今に至るまで「合理主義」を教義に導入できないようです。

マイモニデスの話に戻りますが、

ユダヤ教では、タナハ(聖書)の中の「トーラー」(モーセの五書)以外に、他にも「タルムード」というものがあって、これは現実の生活を規律する書で、その基本部分を「ミシュナ」と言うらしく、そのミシュナ形式で書かれ、従来の膨大なユダヤ法に関する諸資料を体系的に分類し、かつ法典化したものが、

マイモニデスが書いた「ミシュネー・トーラー」

ですから、マイモニデスは哲学書『迷える者たちへの導きの書』を書いて、それを立法化し、ユダヤ教の「聖書」に組み込んだ人なんですね。

そんなわけなので、色々余計なことまで書きましたが、シュムリーが、 "Habit becomes second nature" を、マイモニデスの言葉と言ったのは、間違いとは言えないというか、たぶん「ミシュネー・トーラー」にそういった記述があるからでしょう。

さらに、その件には関係ないのですが、

当時、マイモニデスはアラビア語でこれを書いたので、セム語圏にはすぐ伝わりました。当時の知識人層の言葉はアラビア語で、ここから、ヘブライ語 → ラテン語 → と聖書は翻訳されていったので、当時のローマでは、聖書は教会関係者しか読むことが出来ず(というか、教会関係者もあまり読めなかった可能性がある)、

これを、マルティン・ルター(1483年 - 1546年)がドイツ語に翻訳したことで、初めて市民層に広がり、これまでの「聖書の嘘」への怒りによって、宗教革命が起きる。

それが「プロテスタント」の始まりで、新約聖書しか信じない!はずだったんだけど、教会の権力はスゴいので、折衷しているうちに、キリスト教は教義としては整合性にかけ、矛盾が多いものとなっていく。

一般的に、3大宗教は、イスラム教がもっとも新しく、預言者として一番新しいのもムハンマド(マホメッド)だと思われていますが、

・ムハンマド(570年頃 - 632年 別名、マホメッド、モハメッド)
・マイモニデス(1135年 - 1204年)
・マルティン・ルター(1483年 - 1546年)

と考えれば、キリスト教が、もっとも発展途上にあり、文化的にも未熟であると考えられなくもないでしょう。

『米国 ユダヤ キリスト教の真実』という本から引用します(省略・要約して引用)

私が、Enlightenmentに「啓蒙」という公式の訳語をつけないのは、この訳語が「Enlightenment(エンライトメント)」の思想詩的な意味をまったく伝えていないからです。Enlightenmentの文字通りの意味は、闇に「灯り」をともし、明るくすることです。権力化したキリスト教のもと、理性的思考が抑えられ、恐怖だけが支配していた闇を吹き飛ばし、フランス革命を実現して、世界を近代に変えたのが Enlightenment です。その内容から見て「理性革命」と訳すことにします。

(yomodalite註:フリーメーソン、イルミナティもこの流れから生まれたものです)

理性は、世界中の人間が本来持っているもので、宗教的な精神操作で抑圧されない限り、自律的に発達します。それはギリシャ時代には、一つの頂点に達し、それに続くローマ帝国時代にも「ヘレニズム」(ギリシャの意味)文化として頼もしい発展をしました。

この「自然な理性」がほとんど突然に断ち切られるのは「キリスト教の一宗派」だけを絶対化し、他を消滅させるために開かれた「ニケア宗教会議」で、ここで、三位一体を絶対の信仰とすることが定められました。この「三位一体信仰」に徹するには、徹底して理性を抑圧する必要がありました。

ギリシャ時代の「理性的哲学者」の文献はすべて破壊し尽くされました。今残っているのは、イスラム世界から近世になって移入されたものです。(中略)

スファラディと呼ばれるユダヤ人はイスラムの人々と平和共存し、イスラム世界の物資や文化をヨーロッパに仲介導入する役を果たしていました。仲介として果たした最も大きな役割は、ギリシャ文化の原典をイタリアに伝え「ルネッサンス」が起こる手助けをしたことです。(引用終了。p94~96)


この章に直接関係しない部分も含めて引用しましたが、MJがどうしてあんなにもミケランジェロが好きだったのか?についての重要ポイントなので… 

中世ヨーロッパのキリスト教、主にカトリック教会の国々が、聖地エルサレムをイスラム教国から奪還することを目的に派遣した「十字軍」の最初は、1096年 – 1099年で(諸説ありますが)、最後が、1271年 - 1272年。

これらの戦争は、もし兵士が聖書を読めていたら起こらなかったのではないでしょうか。

圧政に苦しむ民の不満を、常に他国へと向けるという権力者の戦略は、今現在もまったく変わっておらず、どーゆーわけだか、日本でも、原発を落とした国を憎むより、隣国と争うように常に仕向けられていたり、宗教が政治にもっとも利用されている米国では、今も十字軍のようなことが続けられていますが、

「反ユダヤ」の起源も「十字軍」遠征から始まったようですが、現在のアメリカ・ユダヤによる「イスラエル政策」も、これの裏返しかもしれません。

ユダヤ人のタルムードには、異国の民は「ゴイム」(家畜、豚、獣などと訳されている)と記されていると「反ユダヤ」の人はよく主張しますが、それが事実だとしても、

日本人が「鬼畜米英」と言っていたこととどこが違うのでしょう?

米国が、日本人を「ゴイム」と思っていなかったら、無差別の空爆や、原爆投下が出来ると思いますか?

私には、ユダヤ人をかばう理由は何もありませんが、書いてあって実行しているなら、それは「正直」であって、まったく正反対のことが書かれているのに、やってることが同じなら、それは「大嘘つき」で「偽善者」ですが、実体としても、多くのキリスト教会で、中世から、現在まで、ユダヤ人を「ジーザス・キラー」と教えてきました。

MJが「正義」の心は大事だけど、正義判断は信用しないと言っているのは、自分の正義を人が判断する必要はないということで、正義は神とは関係ないという考えです。また歴史を冷静に遡ってみて、対立しているどの場面においても「絶対悪」が存在しなかったことが、よくわかるからでしょう。

十字軍はいずれの戦いにも破れ、エルサレム奪還という目的にも「正義」はありませんでした。キリスト教の合理思想への嫌悪と「正義」への執着は、このあたりに「トラウマ」があるのかもしれません。

一方、最初の「律法」を作ったのはセム族ですし、あらゆる正義判断のために、さまざまな「法律」が必要ですが、法律にはそれを創る「技術力」というものが必要です。正義に絶対的な「正しさ」を求めてしまう人に天秤を調整するということはできませんからね。

またまた、マイモニデスの話に戻りますが、

ユダヤ教が、これまで現代思想を取り込むことにあまり躊躇せず、ラビの学者としての性格を重要視したのも、聖書を、ラビの柔軟な知性によって読み解くというマイモニデスからの影響が強いからだと思います。

中世キリスト教の暗黒と比較すると、ユダヤ教では、当時の世界一の哲学者による考えが「聖書」に反映されましたが、一方、キリスト教では「三位一体」信仰により、多くの科学者、思想家が「無神論者」「反キリスト」と厳しい批判を受けました。

MJの神の考え方は、そういったキリスト教会に激しく批判されてきたスピノザや、ニーチェの思想に近く、

また、教会の意向は、芸術家の仕事にも強い影響を与えていましたが、それに反旗を翻し、ギリシャの神々を復活させようとしたのが、

MJが常に意識して来たミケランジェロです。

MJがミケランジェロこよなく愛し、自分の作品を「システィナ礼拝堂」と比較するように創って来たことが、彼のカルマや正義に関する考えと繋がっていて、彼の考えが「ブレない」のは、彼が子供っぽく理想を語っているからではなく、深い歴史への洞察によるものだということを、ちょっぴり説明したくて、

マイモニデスの註期が長くなってしまいました。

☆黄金律に従おう(註釈2)に続く。



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Commented by フランクリンプランナーに挑戦中 at 2012-12-05 18:31 x
彼の2万冊におよぶ読書がどのようなものだったかが~というあたりを読んだ時、衝撃を受けました。誰よりも多忙で、1冊の本を読む時間さえないと思いますし、そのような中で2万冊を読む。というのは、衝撃を通りこして、言葉を失いました。たゆまぬ努力の賜物なんですね。

Commented by yomodalite at 2012-12-05 18:46
なぜ、そんな時間があったのかということも、そこまで考えなければならなかったのか。ということも驚きなんですが、彼は、一瞬一瞬を無駄にしなかっただけでなく、非常に頭の回転が早く、何もかも考えつくして、あの固い信念をもつことが出来たのだと思います。
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by yomodalite | 2012-09-02 14:52 | マイケルと神について | Trackback | Comments(2)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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