続 三島由紀夫が死んだ日/中条省平 (編・監修)

f0134963_9411434.jpg


☆ 正編『三島由紀夫が死んだ日』

続編で、私が最も印象的だったのは、10歳のときに、三島由紀夫と「煉瓦亭」で対談した神津カンナ氏が、9歳で出版した「詩集」を見せたときのエピソード。これまで、大学生との対話からも感じた、誰にでも、真摯な対応をしてきた三島が、子供にも同様に真剣で優しい態度で接していたことが伝わり、また、神津氏が、その後に読んだ多くの「三島論」にしっくりこないと言われている点にも共感しました。

他にも、三島の研究者である井上隆史氏による、三島が大学時代につけていた「会計日記」など最新資料の分析や、楯の会の制服を発注した当時の西武デパートの社長で、文学者でも辻井喬氏による、神奈川近代文学館での講演、衝撃的な写真集『薔薇刑』の写真家として、事件後、写真を求めようとするマスコミに「事件とは無関係」と断りつづけた、細江英公氏、

あの日を「最期の悲劇のために選ばれた日」という蜷川幸雄氏は、アートシアター新宿の横の露地にあった「蠍座」という、三島が書いた看板がある劇場を、若き演劇人の域に、三島が遺した「傷跡」だと語り、

詩人で、三島に関わる詩も書いている高橋睦郎氏は、今こそ三島の「喪明け」だと言い、彼の死を様々な「独断」から解放してあげなければならない時期ではないかと言う。三島はサービス精神旺盛で、出会った誰もが、自分こそが三島さんと一番親しかったと思い込ませるところがあると。


f0134963_9445730.jpg

なんだか、知れば知るほど「あの人」と似ていると、私は、またもや思ってしまうのだけど、でも、三島も、MJも、誰も「独断」から、逃れることはできないけど、どんなに誤解を受けても、語られなくなることを望んでいないから「サービス精神」が旺盛だったんじゃないかなぁ。。

最後は「豊穣の海」の第一巻『春の雪』を映画化された行定勲氏で、エピローグは、事件の日、家に帰ると、母が自分が「後追い自殺」するかもしれないと心配して(実際に当時後追い自殺した若者が何人もいた)、目を泣き腫らしていたという映画評論家で、2005年『みやび 三島由紀夫』を監督された、田中千世子氏による「自決から遠く離れた人々に生きる三島」など… 私には、続編の方が興味深いと感じる点が多々ありました。

『みやび 三島由紀夫』(Amazon)

下記は、三島の『命売ります』に触発されて『自由死刑』を書き、『豊穣の海 四部作』を意識して『無限カノン 三部作』を書いたという、島田雅彦氏の “「みやび」なアナーキスト” という文章から。

三島由紀夫をこれから、あるいは、もう一度読んでみようという人に、ぴったりな素敵な文章だったので、そこから、大幅に省略・簡略化して、ちょっぴり紹介します。


f0134963_9535312.jpg

いわゆる三島事件が起こったとき、私は小学校3年生(9歳)で、「俳優がハラキリしたらしい」と思ったのでした。考えてみれば、三島由紀夫の名前を9歳の子供も知っていたということ自体、当時の日本における三島の知名度の高さを物語っています。(大映の「からっ風野郎」に主演し、時代劇で人斬りの役を演じていた)

その後成長するに従って、三島由紀夫の傑作群を読んでいくことになるのですが、それと同時に三島が、とても1人の人間が成し遂げたとは信じられないような多彩な活躍をし、いかに幅広く、かつ深く日本の文化に影響を与えたのかを、驚きを伴って知ることになります。そういう三島を、私はかねてから「多面体」と呼んでいます。


日本文化の広告塔 MISHIMA

世界各国から、20~30人の人が一堂に会して「私の国の人物であなたたちが最も影響を受けたのは誰ですか」と聞いていくゲームが、アメリカのある都市で、35人が参加して行う機会がありました。すると、三島由紀夫の名前を、ほとんどの国の人がベストスリーの中に入れたのです。三島が日本文化の広告塔としての役割を、戦後から現在に至るまで一貫して果たしてきたことは、日本人にとって極めて有利な点だといえます。

三島1人がいてくれたおかげで、日本は自国文化の世界的なコンテキストというものを与えられているので、欧米はじめ、どんなに日本の歴史や日本文化に対する知識が普及していない国に行っても日本文化に対するパースペクティブが既にある程度できていて、それに寄りかかることができる。

三島は自ら日本文化を広く知らしめるための広告塔たらんとして「ジャポニズム」とでも呼ぶべき欧米人が日本文化に期待するエキゾチシズムの要素を意識して作品に取り込むというようなことを、かなり自覚的に行うというサービス精神まで示していたのです。


純文学作家と大衆作家の一人二役

三島は「多面体」であると述べましたが、まず、彼の本業である小説の分野だけ考えても、果たした役割は実に多様なものでした。本来、純文学作家と大衆作家の二人に分散されるべき役割を1人で担うことができた極めて稀有な作家だったのです。30数年間の文筆生活において、これだけの膨大な作品の分量を生産しようと思ったら、夜に酒など飲んでいる場合ではない。二日酔いなどになっていては絶対に書けない。常に朝しっかりと目覚めて、深夜に及ぶまで書き続けなければ到底生産できない分量です。

10年に1度は純文学の成果としての名作をよに問うていた訳ですが、そうした純文学作品だけでは、とてもあれだけの作品量には到達しません。その合間合間に、勤勉なる労働によって無数の大衆向け作品をも生み出したというわけです。

こうした刻苦勉励の賜物とはいえ、三島由紀夫ほど存命中に同時代的な人気を獲得した作家もめずらしい。同時代的に人気のあった作家の作品と言うものは、普通は忘れられるものですが、三島の作品は没後35年たった今でも皆に読まれている。


ゲイカルチャーと世界進出

サブカルチャー(というよりアングラカルチャー)の中でも、三島が特に積極的にコミットしたものの1つに「ゲイカルチャー」というものがあります。戦後、特に60年代から70年代にかけて、他の作家に先駆けて海外に紹介されたのは、谷崎潤一郎、川端康成、そして三島由紀夫でした。この3人は、言ってみれば日本文学の王道と目されていた私小説からは、かなり逸脱した作品を書いた人たちですが、彼らに共通し、当時の欧米において日本文学に何が求められていたかといえば、それが実は、3人とも「同性愛」の世界を描いていたという点なのです。

この3人の作品を翻訳して紹介したサイデンステッカーや、ドナルド・キーンらに代表される日本文化紹介のパイオニアとなったジャパノロジストたちの多くは、戦時中は主に海軍で日本軍の暗号解読に従事していた人々です。戦争が終わってやることがなくなった彼らの多くが、戦後は自分たちの趣味の追求に走り、日本を極めて「美的な世界」として紹介することになったのですが、その重要な要素が実は同性愛だったのです。

こうしたジャパノロジストたちの嗜好を見抜き、自らの作品が海外で翻訳されることによって世界に対する日本文化の広告塔たらんとした三島は、欧米人のジャポニズム、エキゾチシズムへの欲求に応えるためのサービスの重要な要素として、同性愛を巧みに作品のテーマに取り入れたのだと考えられます。

(引用終了)


f0134963_955782.jpg

実際の、島田雅彦氏の文章は、もっと内容豊富で、上記で紹介していない「見出し」には、戦後演劇最大の功労者、サブカルチャーの案内者、日本文壇の交通整理役、『春の雪』は不敬小説…?、皇室への屈折した思い、「文化概念としての天皇」とは、など。

[目次]

口絵1 オブジェとしての三島由紀夫-撮影 細江英公
口絵2 天才のオーラに魅せられて-作 横尾忠則

まえがき-中条省平
プロローグ 新資料から推測する自決に至る精神の軌跡-井上隆史

辛すぎた四十五年の生涯-辻井 喬
誠実なる警告-細江英公
最期の悲劇のために選ばれた日-蜷川幸雄
存在感獲得への熱望-高橋睦郎
時間に楔を打ち込んだ男-四方田犬彦
おじさんはもうすぐ死ぬけれど-神津カンナ
「みやび」なアナーキスト-島田雅彦
失われた日本の美を求めて-行定 勲

エピローグ 自決から遠く離れた人々に生きる三島-田中千世子
あとがきにかえて 三島由紀夫は歴史になったか-中条省平


◎『続 三島由紀夫が死んだ日』あの日の記憶は何故いまも生々しいのか(Amazon)
________________

大好評を博した三島由紀夫没後35年記念アンソロジー『三島由紀夫が死んだ日』の続編!

辻井喬、細江英公、蜷川幸雄、高橋睦郎、四方田犬彦、神津カンナ、島田雅彦、行定勲、田中千世子ら超豪華執筆陣が語る1970年11月25日。戦後を代表する天才作家・三島が凄絶な割腹自殺を遂げたあの日を、彼らはどう迎え、いまはどう観るのか…「日本人の心に刺さった棘」と呼ばれる真の理由が浮かび上がる。三島の予言が次々と的中しつつある現在、私たちは三島の叫びをどう受け止めるべきなのか。三島研究者・井上隆史白百合女子大助教授による新発見資料の解読や細江英公の歴史的写真集『薔薇刑』、横尾忠則の「三島関連作品集」も口絵に収載した決定版!



[PR]
トラックバックURL : http://nikkidoku.exblog.jp/tb/17707362
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by jean moulin at 2012-06-29 18:13 x
うん、確かにこっちの方が面白そうだね。
神津カンナさんのエピソードって、「ふんすい」の詩の話?
これきれいなエピソードだよね。
それとも別の話かな。

私、「薔薇刑」の発売前の広告のパンフレットのようなものを持ってるのが、自慢なの(小さい自慢・・。)
たまたま父が持っていたんだけどね。
本体はないの!?と探し回ったけど、出てこなかった・・。

うーん・・。今日のは解らない。
「フコイダン」の入ったピルケース?

あっ、それから、「SO THE elephants MARCH 」紹介してくれて、どうもありがとう。
Commented by yomodalite at 2012-06-29 20:34
そうそう。「ふんすい」の話。

>「薔薇刑」の発売前の広告のパンフレット!

その「自慢」は、認める(笑)

>「フコイダン」の入ったピルケース?

何?その想像力? 何で、フコイダンなの? 
本日は、インク瓶の形の「ペーパーウエイト」ですが、何か(笑)

>「SO THE elephants MARCH 」紹介してくれて

こちらこそ、訳してくれて、ありがとーーー!!!です。
http://goo.gl/rR7Oz
Commented by yomodalite at 2012-06-29 21:43
それと、正編で紹介されてた『蘭陵王』を手に入れて、今、内容を眺めてるところなんだけど、これも、お父上の書斎にあったり、読んでたりする? エッセイ集なのに、このタイトルだし、、なんか、ドキドキするんですけど。。
Commented by Jean moulin at 2012-06-30 18:23 x
そっか、普通にペーパーウエイトだったのかあ。
「蘭陵王」は、「鍵のかかる部屋」って短編集に入っているの読んだよ。まだ、読んでないかもしれないから、内容についてはコメントしないね。yomodariteさんが手に入れたのは、書籍版だから、きっと、晩年の評論が、一緒に収録されてるのかな。
父の蔵書は、実家引き払う時に、ほとんど、人に譲っちゃった。ま、しょうがないね。
Commented by yomodalite at 2012-06-30 22:26
「鍵のかかる部屋」大好きな短編なんだけど、楯の会周辺のことは、ホント最近になって、ようやく解り始めたので、『蘭陵王』のことも、これまで全然気にならなかったんだけど、その短編集に入ってるのは、楯の会のメンバーが、横笛で「蘭陵王」演奏したっていう短いエッセイだよね。

>晩年の評論が、一緒に収録

そう、まさに、1976年1月〜1970年11月までの、4年間のエッセイが年代順に構成されてる全体のタイトルが『蘭陵王』だから、、なんか、もう大変で、、

しかも、そう言えば “蘭陵王” て「MJぽい」なぁとか思ってしまったり、、YMOの「Behind The Mask」は、元々「仮面の告白」からだったなぁとか、、MJの「Behind The Mask」や「Billie Jean」と「鍵のかかる部屋」とか「鏡子の家」を重ねつつ、読んだり、聴いたりしてしまうんだよね。
Commented by jean moulin at 2012-07-02 18:14 x
>楯の会のメンバーが、横笛で
そうそう、それそれ、三島最後の短編だよね。

> “蘭陵王” て「MJぽい」なぁ
うんうん、一度雅楽の舞台も見てみたいなあ。
きっと、そんなに長くないから、yomodaliteさんでも大丈夫だよ。

私、MJが三島を読んでいたかって、よく考えてみたりして、最近は読んでたと確信してるんだけどね。
多分最初に読んだのが、「Behind Mask」に出会った時の「仮面の告白」じゃないかと思うんだけど、どうかな?
坂本龍一さんの方は、三島より、むしろ「仮面の告白」を世に出したお父さんへのオマージュが強かったのかなって気もするけどね。
Commented by yomodalite at 2012-07-02 20:02
>坂本龍一さんの方は、三島より…を世に出したお父さん

あぁーー、坂本一亀さん。。その話は全然知らなかった。私はYMOの「Behind Mask」からは、坂本龍一の三島への思いも「仮面の告白」とか、仮面の裏側といった感じは全然受けなかったから、最初に詩を書いた、日本好きで、三島がすごく好きそうなクリス・モスデル氏の世界なのかなって思ってた。

>多分最初に読んだのが、「Behind Mask」に出会った時の「仮面の告白」

MJぐらいの本好きが、三島を読んでると言うのは全然不思議じゃないし『Confessions of a Mask』というタイトルには、MJは絶対惹き付けられると思う。三島の仮面に対しての感情は、秘密を暴露するキャラを引き受けてもいいということだと思うけど、MJは「ペルソナ」自体がパーソナリティーと言ってもいいでしょ。。。そこが、デヴィッド・シルヴィアンとか、普通の「三島ファン」とは違うところだと思うんだけど。。でもヘテロかゲイかをはっきりと分けたがる米国には、三島のような小説はないから、読んでるのは、やっぱ確実だと思うな。(つづく)
Commented by yomodalite at 2012-07-02 20:02
男女の愛の世界に『IN The Closet』は普通は使用しないのに、むしろ、このときのMJは男性ぽくなってるとか、MJは、本人がすごく分析的なせいか、本当に慎重だよね。『Behind Mask』も、長い間暖めていたかもしれないけど、スリラー時点で、あっさり、フィリンゲンに譲ったのは、なんか、そこなんじゃないかと。。

今になって考えてみると『Billie Jean』の、Not My Lover の方が謎めいてて、あのパフォーマンスが、年月を追うごとに「顔を隠していく」ようになっていたり、SFでは『Billie Jean』と、かなり似た構成になっている『You Rock My Wourld』が、強烈に「変顔」にしたうえに、帽子も深く被っているのも、MJは「仮面の告白」をしたくない男なんだと思うんだよね。

三島の分析でも、ジョン・ネイスンは、結局『仮面の告白』に引きずられてるけど、三島の “蘭陵王” への思いは、MJの『Billie Jean』のパフォーマンスに近いよね。
Commented by jean moulin at 2012-07-03 18:03 x
>『Behind Mask』も、長い間暖めていた・・
うん、「仮面の告白」や、三島をちゃんと知ってたとすれば、そうかもね。
>今になって考えてみると・・
この辺の解釈もほぼ納得。そう考えると両人とも、「Mask」は終生のテーマでもあったのね。

「仮面の告白」みたいな、インパクトや華やかさはないけど、私「蘭稜王」って大好きでね。遺書的な作品の一つだと思ってる。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by yomodalite | 2012-06-29 10:07 | 文学 | Trackback | Comments(9)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite