葉隠入門/三島由紀夫 ー マイケルと三島由紀夫[3]

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[1]では、正しい狂気というものがあるはずだ。という三島の解釈への違和感に「違和感を感じる」というような書き方をしましましたが、、三島の『葉隠入門』は、やはり「正しい狂気のあり方」として「葉隠」をよむための解説書、もしくは、煽動書だと、私も思います。

葉隠本を、何冊か見てみましたが、現在、これが、世界でも読まれている思想書だと知って「葉隠」を読むなら、むしろ、三島の『葉隠入門』の解説はまどろっこしく、また、後半の名言抄よりも、現代語訳や、英語の対訳で、全文が書かれている方が読み応えがあり、スムーズに理解できるようにも思いました。

でも、

新渡戸稲造は、外国人から「宗教なしで、どうやって道徳教育をするのか」と問われ、それに代わるものが「武士道」だと語り、武士のいない世界に、思想書としての「武士道」が広まりました。

三島由紀夫の『葉隠入門』も「葉隠」が戦争のために利用され、汚された後、そこから新たな光を見いだした、三島の命懸けの行動によって、武士のいない世界に、思想書としての「葉隠」が蘇ったのだと思います。

主君と家来という世界がなくなり、天皇が「人間宣言」をした後では「武士道」の思想は成立せず、「God」を持たない日本人には「神」がいなくなること。

自衛隊とは「自衛」のための軍隊ではなく「米国の盾になるための軍隊」だと、誰よりも完璧に理解した三島は「憲法改正」に真剣に取り組み、本気で、自衛隊にも、日本国民にも「武士」としての心構えを説こうとしたのだと思います。


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(葉隠の海外版には「家紋」をデザイン化されているものが多いのだけど、この本で使用されている「家紋」が、常朝の時代の鍋島藩の家紋のはず)



三島が命をかけたとき、日本精神が失われることの危機感を、真剣に理解できていたら、文化を創っているのは、文化人とは限らないということを、文化人がわかっていれば、

「武士たる者は死に狂ひの覚悟が肝要なり」に最大絶無のメッセージがあることを、
無理に否定したり、(三島が)なぜそんなにも行動に憧れ、死へのあくことなき渇仰を語るのか?などと、疑問に思うこともなく、

また、勝俣会長のような人が、東電のトップになることもなく、原発事故が起きたとしても、その後の対応はまったく違ったものになり、私たちが、もっとも憎む相手も「原発」ではなかったかもしれません。

葉隠には様々なことが書かれていて、逆説的であるとは、三島も言っていることですが、マイケルは「死に狂い」の人だったと、私は思いますし、「死へのレッスン」は、なかなかする機会がないので、[2]に引きつづき

葉隠の中の「死」に関しての言葉を、さらに、狂ったように紹介します。


現代語訳と英文は『対訳 葉隠』より


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(海外版では、この“丸に三羽の鶴”の家紋が使用されているデザインが多いのだけど、、これはどこの家紋なのでしょう?ご存知の方はぜひ教えてくださいませ)



Lord Naoshige said, "The Way of the Samurai is in desperateness.
Ten men or more cannot kill such a man.
武士道とは進んで死地に突入することである(武士道とは死に狂ひなり)
人を殺すのには数十人かかっても手にあまるものである。と直茂公は仰せられた


Common sense will not accomplish great things.
Simply become insane and desperate.
正気では大業はできない。死に狂いの思いで進んで死地に突入することである

"In the Way of the Samurai, if one uses discrimination, he will fall behind.
また、武士道においては善悪、損得などを考えていては、早くも人に遅れをとる。

One needs neither loyalty nor devotion,
but simply to become desperate in the Way.
Loyalty and devotion are of themselves within desperation."
忠も孝も考えずに、死に狂いすることである。
その中に、忠も孝もおのずから備わっているのだ。




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(丸の中が、鶴になっていないヴァージョンも多いのだけど、、この「家紋」も上と同じく実際にあるものなのか、どこのものかもわからないので、ご存知の方はぜひ教えてくださいませ)



A certain person was brought to shame because he did not take revenge.
ある人は、喧嘩で仕返しをしなかったため、恥をかいた

The way of revenge lies in simply forcing ones way
into a place and being cut down.
There is no shame in this.
By thinking that you must complete the job you will run out of time.
仕返しのやり方は、ただ進み踏み込んで切り殺されるまでである。
こうやれば恥にはならないのである。
相手に勝たなければと考えるから間に合わないのである


By considering things like how many men the enemy has, time piles up ;
in the end you will give up.
また、向こうは多勢だなどと言っているうちに時間が経過し、
ついにはやめる話になってしまうのである。


No matter if the enemy has thousands of men,
there is fulfillment in simply standing them off
and being determined to cut them all down,
starting from one end. You will finish the greater part of it.
相手が何千人であろうと、片っ端からなで切りにする覚悟で立ち向かっていけば、
それで仕返しの意図は果たせるのだ。
また大概、それで相手をなで斬りにできるものである。


(この後、泉岳寺で腹を切らなかった、忠臣蔵の討ち入りについてのダメだしwを中略)

Although all things are not to be judged in this manner,
I mention it in the investigation of the Way of the Samurai.
ふつうはこのような批判はしないものであるが、
これも武士道を考える材料となるから言うのである。


When the time comes, there is no moment for reasoning.
And if you have not done your inquiring beforehand,
there is most often shame.
前々から、十分に考えておかなければ、いざというとき、判断することができないから、
たいていの場合、恥をかくのである。


Reading books and listening to people's talk
are for the purpose of prior resolution.
人の話を聞き、ものの本を読むのも、かねがね覚悟を決めて置くためである。

Above all, the Way of the Samurai
should be in being aware that you do not know what is going to happen next,
特に武士道においては、いつどのようなことが起こるかわからないと思って、

and in querying every item day and night.
Victory and defeat are matters of the temporary force of circumstances.
朝に晩に、箇条を立てて考えておかなければならない。勝負は時の運である。

The way of avoiding shame is different. It is simply in death.
Even if it seems certain that you will lose, retaliate.
恥をかかないやりかたはまた別である。死ぬ決心があればよいのである。
たとえその場で負けるとしても、すぐに仕返しすればよいのである。


Neither wisdom nor technique has a place in this.
A real man does not think of victory or defeat.
これには知恵も業も要らない。剛の者と言われるほどの人は、勝敗を考えず、

He plunges recklessly towards an irrational death.
By doing this, you will awaken from your dreams.
脇目もふらず死に向かって進むだけである。
これでもろもろの執着が消えて本来の自己に戻るのである。









The saying of Shida Kichinosuke,
"When there is a choice of either living or dying,
as long as there remains nothing behind to blemish one's reputation,
it is better to live," is a paradox.
このことは、この間も聞いたことであるが、このたびのお話は次のようなものであった。
志田吉之助が「生きても死にても、瑕にも名誉にもならないなら、生きた方がよい」
と言ったのは、裏を言ったものである。


He also said, "When there is a choice of either going or not going,
it is better not to go." A corollary to this would he,
"When there is a choice of either eating or not eating,
it is better not to eat. When there is a choice of either dying or not dying,
it is better to die.''
また「行こうか行くまいかと思うところへは行かないのがよい」とも言ったが、
この続きには「食おうか食うまいかと思うものは食わないのがよい。
死のうか死ぬまいかと思うときは死ぬのがよい」とある。






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Commented by bio at 2013-06-20 12:03 x
最後の家紋はどう見てもバイオハザードマークですね・・・。
Commented by yomodalite at 2013-06-20 22:18
bioさん、コメントありがとうございますっ!

確かに。気がつかなかったことが不思議なぐらい「バイオハザード」に酷似してますね。調べてみたら、このマーク、ダウ・ケミカル社が1966年に創ったマークなんですね。日本の家紋のデザインは、ルイ・ヴィトンやシャネルなど、ファッション業界だけでなく、世界にものすごく影響を与えているし、多分、60年代なら家紋由来ですね。

でも、このマークが使われている、William Scott Wilson 訳の初版は1979年(じゃないのかな。。でも、ウィルソンは三島から「葉隠」に興味をもってるわけだから、1966年より後だということは、ほぼ間違いないと思うんだけど)だから、家紋の影響もあるけど、「バイオハザード」のマークも見てるはずだよね。。。

近年に再販されてる版でも、このデザインみたいで、、ダウ・ケミカル社が文句言わないのも不思議だけど、このデザインは、日本的という部分と「取り扱い注意」みたいな両方の意図があったのかなぁ。。
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by yomodalite | 2012-05-19 12:39 | ☆マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(2)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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