I Design(私デザイン)/石岡瑛子

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石岡瑛子氏が、今年の1月に亡くなったというニュースを聞いたとき、私は久しぶりにその名前を思い出したことに、胸がズキンとして、石岡氏が亡くなったことより「石岡瑛子」という存在を、これまで大事にしてこなかったことが、日本にとって本当に大きな損失だったと思った。

逝去のニュースだけでなく、その名前は、これまでも胸が「ズキン」とすることが多かった。私は、石岡氏が日本を去られてから就職したのだけど、石岡氏と同世代や、もっと下の世代でも、当時の私にとって見上げるような先輩たちから「石岡瑛子」の悪口をよく聞いていたから。

学生時代の雰囲気と違って、その業界は普通の企業よりよほど「男社会」というか「ヤクザ」な体質をもっていて、その悪口は、社会に出たばかりの女子にとって脅えるほど辛辣で、「石岡瑛子」を目標にしたいとは、絶対に思わせられないような厳しい「掟」のようでした。

本書は2005年に出版されていて、彼女の代表作について12章にまとめられています。



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映画「MISHIMA」(金閣寺)



下記は、第一章「映画・MISHIMA」より省略して引用(中略と書いていない箇所も含め大幅に省略しています)

映画「MISHIMA」は、ある圧力によって葬られたまま、完成から20年以上経った今も日本では未公開になっている。この映画の制作と上映に対しては、私の想像をはるかに超えた複雑な動きが日本では起こった。政治的な動きもあったし、遺族の意志もあった。

法的チャンネルを通してくるものもあれば、公開すれば殺すという脅迫が出演俳優や重要なスタッフに対して投げられるという恐ろしい動きもあった。信じられないことだが、カンヌ国際映画祭に来た日本のジャーナリストたちのほとんどが、映画祭での成功の事実を無視したり、意図的に歪曲して報道するという行動に出た。

それなのに、制作の中心人物であるアメリカ側のフィルムメーカーには何の行動も起こさない。外人連中はしようがない、という理由なのだろう。このような露骨な反対の動きを見て、私は日本人でありながら、日本の闇の部分を全く知らないで生きてきたことに愕然とした。

スタッフのひとりとして内情をよく知る私は、そんな事実に出会って、たとえようもなく立腹し、悲しむと同時に実に頻繁に思い知らされたのは、もう風化しているはずの島国根性が今も知的な日本人の中に厳然と根強く残っているという現実である。そのことは、私が日本を離れるようと決意した理由の一端をも担っている。

とにかく、私が日本で映画「MISHIMA」の話をしたくても誰とも通じあえないということは、新しいキャリアの重要な1ページをつくってくれたこのプロジェクトに誰にも触れてもらえないまま、私は日本と疎遠になってしまったわけだ。(中略)




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Miles Davis「Tutu」




それにしても、私にとって最も大切な日本の観客に見てもらう機会を失ったダメージは計り知れない。監督のポール・シュレーダーはもちろんのこと、製作総指揮にあたったフランシス・フォード・コッポラや、ジョージ・ルーカスは、西洋のフィルム・メーカーには数少ない日本びいきで、この映画を通して、自分たちの日本の主題に対する真摯な立ち向かい方を観客に見てもらいたいと願って取り組んでいたので、彼らの情熱が日本に全く届かず、努力が不発に終わってしまったことがなんとも残念でならない。

それまでアメリカのフィルムメーカーが制作してきた日本に関するテーマの映画ときたら、将軍や芸者や忍者ものに終始していたのだから、フランシスやポールやジョージがイメージを変えようと努力したのは無理のない話だ。(中略)ポール・シュレイダーは、はじめ映画の評論を書いていて、それから脚本家になり、「タクシー・ドライバー」で一躍注目を浴び「レイジング・ブル」など傑作を何本も書き、『アメリカン・ジゴロ』などの個性的な映画をつくり、評判は上昇する一方である。

映画「MISHIMA」は弟との共同脚本だが、ポールは、もし三島という人間が仮にいなかったとしたら、よく似た人物を脚本という方法で創造していただろうと言う。なぜかと言うと、三島が人生の中で出会った葛藤は、ポールが体験し解決を求めてきた葛藤と非常によく似ているのだそうだ。しかも、三島が逢着した解決は、フィクショナルな人間に演じさせても不思議ではないほど劇的だった。はじめは単に面白がっていたが、そのうちに、せひ映画にしなければと考えるようになったのだと言う。ポールが作家としての三島に注目するポイントは、思想も面白いけれど、その思想が空想の世界から実生活に入っていった、その入り方が面白いのだと言う。

小説を書くというのは、虚構を働かせばすむのだから、作家は何もそれを行動でやりとげる必要はないのに、三島の場合は、小説の働きを見るだけでは、充分ではなくなり、最後には言葉に幻滅した。それは非常に面白い状況で、今までの映画では扱われたことがないだけに、映画にしてみたいという気持ちが次第に膨らんでいったのだ。才能もあって、年齢的にもまだ若い芸術家が死んでしまったとき、彼の芸術はどうなっていくのか。ポールは三島の中に、変わりゆく文学への啓示を見た。そして非常に興味をそそられた。



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ブロードウェイ演劇「M・バタフライ」




(ポールの映画の構成が語られて後に...)しかし、私が三島由紀夫の世界を表現することには無理がありそうだ。なぜなら、彼の文学を認めないわけにはいかないけれど、残念ながら彼の生き方には、理屈では語れない嫌悪感がある。「私は三島という人間が好きになれないんですが…」と正直に告白すると、ポールは一瞬私の顔をじっと見て「あ、それは幸いだ。この映画は僕の三島像をを描くのであって、エイコの三島像を描くのではない。三島に熱狂的な(ファナティック)な連中ばかりが集まって、三島の分析をしているような映画を創ったら、観客はしらけるよ」と説得した。(中略)

日本映画の数々の名作を撮影した宮川一夫のファンであった、一流撮影監督のジョンは、京都まで彼に会いにいき、話を交わし「機材は貧しくとも、素晴らしい映像を残してきたミヤガワを僕は尊敬する。だから、僕もここで入手できる機材でベストを尽くすよ」と私に語った。

この映画における最も困難な問題は、言語のコミュニケーションである。

私は日本人でありながら、アメリカ側から雇われたという微妙な位置にいた。そのため、両サイドの苦しいが少しでもわかる私は、アメリカ側と日本側のあいだに立って互いが上手く行くような、言ってみれば精神的コーディネーターの役をかって出た。ポールやジョンが極度のフラストレーションに陥っているときには、一緒に食事に行って全部吐き出してもらったり、主役の俳優たちが私のところに来て「監督は、僕たちの演技に満足しているのかどうか全くわからない。本当はどうなんだろう」と言うのを聞くと、ポールに演技のイエス、ノーをもっとはっきり俳優に伝えた方がいいのではないかと話に言ったり、差し出がましくない程度にブリッジの役目をはたすように努力した。

しかし、実際には、私自身が別の意味で苦境の中にいた。私が美術監督という大役を担っていることが、どうやら男性で固められている日本のクルーにとって、気に入らなかったらしい。(中略)

あらためて日本の映画界の化石のようなふるい体質にショックを受けた。私のように女性であり、映画のアウトサイダーであり、その上、アメリカ側から雇われ、プロデューサーや監督から大切にされていることが、とにかく不快だということらしい。

プロデューサーのトム・ラディは、日本の社会が男尊女卑の社会であるらしいと頭ではわかっていたものの、私に対する日本クルーの屈折した扱いを間近で目の当たりにして、あらためて日本という国の体質を認識させられ、愕然としていた。(中略)




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映画「ドラキュラ Bram Stoker's Dracula」




カンヌ映画祭では、入場できない、つまり、その夜のチケットを買うことのできない観客で会場入り口はあふれかえっていた。その数は数千人におよぶと言われた。終わると私たちはいっせいに、スポットライトを浴びた。超満員の観客から受けたスタンディング・オベーションは「本当によくやった」というねぎらいの気持ちに近かったのかもしれない。とにかく拍手が鳴りやまず、どうしていいかわからなかったほどである。

二千人の満席の観客が声を立てず息をつめて映画を見てくれて、途中で席を立った人などひとりとしていなかったのに「どんどん途中からは客は出て行った」などという悪意のあるウソを日本人のジャーナリストたちは新聞に書いた。とにかくアメリカ人が映画「MISHIMA」を創り、世界の熱狂を受けることに異常な敵愾心を持っている。日本のジャーナリストや、一部のフィルムメーカーは、いったい何におびえて歪曲した報道をしているのだろう。

ある日本人のジャーナリストはポールに次のような質問をしている。「あなたはアメリカ人なのに、どうして三島が描けると思うんですか?」ポールはその記者に「Why not? どうしてアメリカ人に三島が描けないと思うんですか?そういうあなたは三島をよく知っているんですか?」と聞き返したら、絶句して後がつづかなかったという。

ポールが日本語で映画を創って達成しようとした血が滲むような努力、アメリカ人と日本人が一緒になってポールの夢を実現しようと、汗と涙を惜しまず提供したその結果など、日本の誰も見ようとしなかった、その事実だけが今も重くよどんで残っている。

撮影が終わり、ポールは日本を発つ前に「日本人はヒト科の一種族にすぎないのに、今、大変な思い上がりをしている。21世紀いおいて日本人は、必ずや世界の指導者の一角を担うだろう。しかし、このような謙虚さの足りない人種が指導者になったときの怖さを、僕は憂えるね」と言い切って帰っていった。謙虚は日本人の美徳ではもうなくなったということなのだろうか。

映画「MISHIMA」に懲りて、サムライやゲイシャではなく、現代の日本の主題に真正面から真剣に取り組もうとするフィルムメーカーが西洋から現れるということも、当分ないだろう。「それで結構」という声が、日本のどこかから聞こえてくる。(引用終了)



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映画「落下の王国」




映画「MISHIMA」はVHSで持っていて、何度か見ているけど、いったい何が問題だったのかまったくわからない。でも三島の遺族が…というのが本当の理由ではないことは、本書の記述でも明らかですね。緒形拳や、沢田研二、加藤治子、坂東八十助、佐藤浩一、永島敏行…という素晴らしい俳優が、素晴らしい演技をし、もちろん反日的なところなんて全然ない。日本のジャーナリストというのは、特別バカでないとなれないのでしょうか?(それとも一流大学を卒業した人間をわざわざ「バカ」に改造する特殊な機関なのでしょうか?)

私は日本が好きで、外国のようになって欲しいとも思わないし、石岡氏もそうだったけど、海外で大成功された日本人のほとんどが帰国されることを考えても、日本はいい国なんだと思う。

日本人ほど、謙虚な国民はいないと多くの日本人は思っているし、私もそう思う。でも、ポール・シュレーダーが「謙虚さが足りない」といったことには、なぜか納得してしまうし、「MISHIMA」に限らず、石岡氏がどれほど現場で苦労されてきたかも、本書のあらゆる箇所で痛いほど感じる。それは「男尊女卑」とか「女性差別」だけではなく、空気を読めという「掟」と、顔が見える人間をリーダーに出来ないことが大きいのだと思う。(黒澤組とか、石原軍団とか、男同士の場合は「チーム」化することがあるけど…)

日本は長い間、本当に素晴らしいセンスをもっていて、身のまわりの品がすべて美しい「用の美」をもった国だった。石岡氏もそのような日本文化の中で、類希なセンスを開花させられたのだと思うし、石岡瑛子が生きた時代、日本のデザインは世界最高だった。



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映画「ザ・セル」




当時、資生堂にはものすごく素敵な人がいっぱいいて、卒業後、私と同様「地獄のような」仕事場に就職した同級生(男)は、その後、資生堂に入ったとたん、目に見えて生き生きとしていた。資生堂を離れた石岡氏のことは、堤清二氏の「セゾングループ」が救っていた。最近のことはまったく知らないのだけど、どちらももうあの頃とはまったく違うと思う。

紙媒体が圧倒的に激減して、印刷技術や、紙会社に影響があっても、かつてのグラフィック・デザイナーを目指したような人間の才能には影響はないはずなのだけど、紙媒体に限らず、すべてのプロダクトでも、日本の美しいデザインが失われたのは、権威者たちに謙虚さがなくなって(自分たち以外の“デザイナー”を許さない)すっかり「美的音痴」になり、その他大勢がその空気を読んでいるからだと思う。

石岡氏はインタヴューで、芸大でデザインを専攻していると言うと「芸大にファッションデザイン科があるんですか?」とよく聞かれたという。(現在のデザイナーも同じ質問をうけているだろう)逝去のニュースのときも「衣装デザイナー」という報道が多かった。

米国では映画や舞台からの依頼が多かった。だから、彼女は「舞台」や「衣装」をデザインしたのであって、石岡瑛子はなんだって「デザイン」できた。そんなことすらわからない人は、どうかこれ以上「日本のデザイン」に関わらないで欲しい。

届かない星であっても、それでも、石岡瑛子になりたいと思って毎日を過ごしかった。

この人にもっともっと憧れられる日本だったら、、

日本はもっと素敵な国になっていたはずなのに。



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ミュージックビデオ ビョーク「COCOON」







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シルク・ド・ソレイユ「VAREKAI」




[目次]
第一章 カンヌ国際映画祭芸術貢献賞受賞 映画「MISHIMA」
第二章 グラミー賞受賞 マイルス・デイヴィス「TUTU」
第三章 ニューヨーク批評家協会賞受賞 ブロードウェイ演劇「M・バタフライ」
第四章「映像の肉体と意志 ー レニ・リーフェンシュタール」展
第五章 アカデミー賞コスチュームデザイン賞受賞 映画「ドラキュラ」
第六章 ブロードウェイプロダクション「デビッド・カッパーフィールドの夢と悪魔」
第七章 オペラ「忠臣蔵」
第八章 オペラ「ニーベルングの指輪」四部作
第九章 映画「ザ・セル」
第十章 ミュージックビデオ ビョーク「COCOON」
第十一章 シルク・ド・ソレイユ「VAREKAI」
第十二章 ソルトレイク冬期オリンピック


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by yomodalite | 2012-03-19 09:54 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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