藤永先生のメールから[1]

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藤永先生のメールから、みんなと「共有」したいと思った箇所をちょっぴり紹介します。

(先生のメールから)

マイケル・ジャクソンのことでは、深い森の中の広いmazeに迷い込んだ感じです。必ずしも出口がないとは思いませんが。

彼の舞踏にはすっかり感心してしまいまして、YouTube を漁り続けていますが、いつもの悪い癖が出て、「舞踏とは何か」という設問に、またぞろ、頭を突っ込んでいます。ニジンスキーとか武原はんとかを思い出すのはよいとして、ヒョットコ踊りまでが気になり始めました。

人間の正常状態では滅多にとることのないポーズ(静止形態)やムーヴメントが何故こんなにまで面白く、刺激的で、美しくさえあるのでしょうか?(そして、それが魂の入らぬ模倣物であれば、何故耐えがたい嫌悪を覚えるのか?)

ポール・ヴァレリーに「ドガ・ダンス・デッサン」という名エッセーがあります。その中の一文を引用します。

制作するに当って、一人の人間の能力全部が用いられることを必要とし、またその結果である作品を鑑賞するのに、別の人間の能力全体が刺激されて、作品の理解に努力することを必要とする、そのような芸術のことを私は「大芸術」とよぶのである。それ以上のことを意味しているのではない。

私は、この言葉を、マイケル・ジャクソンという人間の総体に適用して考えたいと思っています。

(引用終了)
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大芸術! その言葉が新鮮だったにも関わらず、なんかもう「そのとおりだ!」と思ってしまって、私は、ドガに対して踊り子の絵ばかり描いていた人というイメージ以外、何も知りませんでしたし、ヴァレリーも、少女時代に少し気取って読んでみただけで、すっかり忘れていたんですけど、

MJに対しての「アメリカン・レヴュー」のパターンに飽きていたところだったので、なんだか興奮して『ドガ ダンス デッサン』を読んでみることにしました。

先生が紹介してくださったのは、吉田健一氏の翻訳なのですが、旧字、旧かなの古い本しか見つからなかったので、私が実際に読んだのは清水徹氏による2006年の新訳の方です。

◎ドガ ダンス デッサン/ポール・ヴァレリー、清水徹(翻訳)

『ドガ ダンス デッサン』は、ドガと深い親交があったヴァレリーが、ドガの作品と、彼の発言から「ドガの肖像」を描いただけでなく、1933年から1938まで、様々な雑誌などに断章として発表されたヴァレリーの文章をまとめたもので、ドガだけでなく、マラルメとも対比させているなど、知的な香り満載のエッセイで、

ドガ=踊り子の画家としか知らない私にとっては、ドガの洒脱な毒舌ぶりも新鮮な驚きだったり、踊る女を描くということの意味について、初めて想像してみたり、絵やダンスのことだけでなく、まさに、この本全体が「能力全部が刺激される」ような本になっていると感じました。

ちなみに、上記の箇所は「清水訳」では、

わたしが《大芸術》と呼ぶものは、単純に、ひとりの人間の全能力がそこで用いられることを要請し、その結果である作品を理解するためにもうひとりの人間の全能力が援用され、関心を向けねばならぬような芸術のことである。

エッセイ全体は、もう少し読みやすい文章なんですが、、ひとりの人間と、もうひとりの人間とか、援用とか、なんかメンドクサイ文章だなって、うっかり思ってしまって、、、

で、そんなわたしに、先生は、フランス語の原文も教えてくださいました。

(先生のメールから)

引用した部分はもっと直訳でもよかったかも知れません。ご参考までに原文を写します。

Ce que j’appelle < Le Grand Art >,C'est simplement l’art qui exige que toutes les faculties d’un homme s’y emploient, et dont les œuvres sont telles que toutes les faculties d’un autre soient invoquées et se doivent intéresser a les comprendre …

faculties というのは「能力」といっても人間のあらゆる「機能」を意味するでしょうからMJ を考える場合によく当てはまる言葉でしょう。また、 les œuvres (作品、仕事)は複数です。


(引用終了)

英語がヤバい以上に、フランス語はもっと「チンプンカンプン」なんですが、これを、自動翻訳で英語にすると、

What I call < The Big Art >, It is merely the art that requires that a man's faculties uses themselves of it, and whose works are as all faculties of another are invoked and must interest has understand them …

直訳にはなっていないと思いますが、、、なるべく簡単に理解したいと思って、

私が「大芸術」と呼ぶのは、制作するのに、ひとりの人間の能力がすべてが用いられている作品のことで、それゆえ、それを鑑賞する側も、作品の理解に、すべての能力を使う必要がある。

としてみたんですが、やっぱり吉田健一氏の文章が素敵で、尚かつわかりやすいですね。


☆ニジンスキー
◎[動画]Nijinsky 1912-L'Après-midi d'un Faune (full version)
◎[動画]Nijinsky 1910 - Carnaval
◎ニジンスキー(Wikipedia)

☆武原はん
◎『武原はん一代』松岡正剛の千夜千冊
◎「地唄舞 武原はん」
◎「武原はん 幻のパリ公演と大佛次郎」
◎[動画]地唄「雪」武原はん
◎[動画]地唄「松の寿」武原はん


☆藤永先生のメールから[2]につづく




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Commented by jean moulin at 2012-03-16 18:35 x
yomodaliteさんありがとう!
なんて素敵な記事を公開してくれたの。
それにしても、MJにヴァレリーの「大芸術」を見いだされるなんて、藤永先生もMJもなんてすばらしいの!
しかも吉田健一(今年生誕100年だし)訳推奨なんて、ポストモダンかぶれの私としては、思わず暴走してしまいそうなので、ここはちょっと冷まして、フランス語の件ね。
ヴァレリーが原文ですらすら読めるようになるっていうのは、夢のまた夢だけど・・。
少しなら解るよ。

直訳すると
「私が < Le Grand Art > と呼ぶもの、それは単純に、その芸術に対しすべての能力を行使する事を要求し、そしてその芸術作品は同様に、その他の人に対しても、すべての能力を刺激し、それをもってその芸術に興味を持ったり、理解しようとしなければならない、そういう芸術の事です。」
って感じかな。(益々わからないっとか言わないでね、いっぱい、いっぱいよ)

Commented by jean moulin at 2012-03-16 18:47 x
< Le Grand Art > を「大芸術」っていうの、はかなりお茶目な訳語だけど、吉田健一らしく愛らしいので、清水訳でも使われたんだと思う・・。
yomodaliteさんの嫌いな「援用」は「Invoquées」で、辞書的には「引き合いに出す」とか「援用する」という意味なのだけど、この文章の中の意味を考えると「刺激され」っていうのは、とっても素敵な訳だと思う。

yomodaliteさん訳もとってもかみ砕かれてて、解りやすいよ。
フランス語って、翻訳すると(原文もかな)本当に面倒くさくなるものね。

あと、なんだか細かくて恐縮なんだけど、
「home」は「homme」だよね、きっと。
Commented by yomodalite at 2012-03-16 20:39
直訳、来たーーー!!! moulinさん仏語イケる人だったのね。しかも吉田健一ファンだったとは...

>かみ砕かれてて、解りやすいよ。
私は、日本人の場合ヤンキーが「ストン」と来るところまで、ソウルフルになってないと、本当に人の心には響かないって思ってるので、もっとかみ砕いておくと

とにかく全力で行っといたから、おまいらも全力で来いっ!」ってことだよね!(ちがうかw)

ところで、この本読んでた?ドガのキャラ立ちしてる様子を軽く引用しておくと→「ドガは、ほとんどどんなことも優しい態度を示さず、批評や理論に対して寛容になることはまずなかった。彼が好んで口にした言葉、晩年にはくどいほど繰り返して語っていた言葉はこうだった。ー ミューズたちはけっしておたがいに議論したりしない。彼女たちは一日中、めいめいひとりきりで仕事する。夕方になり、その仕事を終えると、みんなで落ち合って、彼女たちは踊る。ミューズたちはおしゃべりなどしない」けれどもドガ自身は大の論争家で、情け容赦もなく議論をすすめ、政治とデッサンの話となるととりわけ興奮しやすかった(引用終了)つづく
Commented by yomodalite at 2012-03-16 21:18
って言う感じの人で、で、そんな人が、ひたすら踊り子の絵を描いてたってところがすごく面白かったんだけど、、iphoneで写真どころか動画もとれる時代に、絵を描くこと自体に意味を感じない人って多くなってると思うけど、でも、やっぱり、この思考のしつこさって、動画でなにかを捉えられてるって思ってる人にはわからないと思うけど、画家ならではで、著名な写真家もそこに集中した人はいないでしょ(映画があるし)、でも、MJぐらい、ダンサーとして完璧に写真には遺された人はいないよね。で、それが何故かと考えると、MJに画家の眼があったからでしょ?

moulinさんは画家だからわかると思うけど、動いてるものを、自分で静止する能力があるんだよね。MJには。。と、まあ、ここまで全力で考えてみましたっ!(ご指摘の箇所はコピペなので... )
Commented by jean moulin at 2012-03-19 19:01 x
>moulinさん仏語イケる人だったのね。しかも吉田健一ファンだったとは...

イケるって程いけないよ、これが。
目標は「ロラン・バルトがサクサク読める」なんだけど、多分命が足りないと思う・・。
吉田健一さんもファンて言える程読んでないんだけど、前に言ってた丹生谷さんが敬愛していてね。
河出の生誕100年のムック本で、丹生谷さんと金井美恵子さんが対談してらっしゃるのをちょうどつらつら読んでたの。

>とにかく全力で行っといたから、おまいらも全力で来いっ!
これいいね!ぐっと伝わる。

この「ドカ」はそれこそずーっと前にに読んで、忘れてた・・。
なので、読み直すね。
Commented by jean moulin at 2012-03-19 19:03 x
舞台にしろ、映画にしろ視覚芸術の人は、なんらかの意味では絵が描けると思うんだけどね。
MJはまさにそうだし、もっと言うと本当に造形できる人だったと思う。
このあたり、Yさんが振ってくれたから言えるけど、私にとっては、ずっとずっとものすごいテーマでね。
MJはね、音楽も造形できると思ってるんだけど、この辺はヴァレリーも読み直して、ちゃんときっちり考えてコメントします。
ちょっと待っててね、忘れた頃かもしれないけど。
Yさんの返信見てから数日、熱出そうなくらい考えてて、まだ考えてるけど・・
その結果、今は亡き銀座「胡椒亭」(←知ってる?)で、エスカルゴとワインがいいなとか、訳の解らないことになってしまいました。
Commented by yomodalite at 2012-03-19 22:41
>Yさんの返信見てから数日、熱出そうなくらい考えてて…

ごめんね、、あんな自分しかわかんないような、テキトーな文章に、画家だからわかるかもしれないけどなんて言って、わかるわけないーっつーの。反省して、少し表現を変えて再挑戦してみるね。

ダンサーとして、アステアは何本も映画に撮られていて、スチール写真の撮られ方もすごく上手かったと思うんだけど、MJは、もっともっと写真の撮られ方が上手いダンサーだったと思って、、

その理由のひとつはMJに「画家の眼があった」こと。もうひとつは、MJのダンスが、同じか、それ以上にキレがいい、クリス・ブラウンやアッシャーと比べて、どうしてこんなに「感動」できるのか?という理由にもなっていると思うけど、

MJは「静止」しているところが、とてつもなく美しいんだよね。ものすごく美しく見える動きは、完璧に美しい瞬間の連続で、吉永小百合さんにも驚いたんだけど、どこで止めても「完璧な絵」になってるってことはめったにないんだよね。でも、MJは自分のことを「絵」としてものすごくよくわかってて、ハーブ・リッツとかブルース・ウェーバーですら、MJの方が撮らせてたんだなぁと思ったの。
Commented by jean moulin at 2012-03-21 18:15 x
よく解るように説明してくれてありがとう。
確かにそうだね。
yomodaliteさんが説明してくれているように、MJはフィルムの1枚1枚のように自分が静止画像で捉えられていたんだね。
これはすごい「画家の眼」だと思う。

「イン・ザ・クローゼット」も「ヴォーグ」の写真もとっても好き・・。
Commented by yomodalite at 2012-03-21 21:58
ヴァレリーは「舞踏について明確に語られた言葉はない」(ちょっと表現が違うけど)と言ってて、ドガは「デッサンほど知力の参加を要請する芸術をわたしは知らない」と言ってるのね。

デッサン=スケッチだと思ってる人にはわからないと思うけど、デッサンは、まさに「知力」の結集で、特に「ダンサー」のように動いてるものを「絵」として捉えようとする行為は、むしろ「技術力」ではなくて「知力」だと、ドガはしつこくデッサンするだけじゃなくて、しつこくそう言ってるのね。

で、さらに、マラルメは「踊り子とは踊る女ではない、というのもそれはひとりの女ではなく、また彼女は踊るのではないからだ」とも言ってるんだけど、、(つづく)
Commented by yomodalite at 2012-03-21 21:58
とにかく、その後、写真技術が発達して、アーティストの傑作写真をモノにしてきた、有名写真家も、MJを撮ると「平凡」で、アニー・リボウィッツ(Vanity Fair)も、MJが素敵だから素敵なんだけど、彼らの作品の中では「平凡」な出来で、いつもはみんなアイデア豊富で「撮ってる」という感じなのに、、、MJを前にすると「撮らされてる」。

こんな哲学者と画家とダンサーがすべて同居しているような男が「アンブレイカブル」とか「インヴィンシブル」と言って「映画」も撮ろうとしたら、、それは「奇跡の復活」しかありえないし「実際にやる」しかないというところに行き着くはずで、しかも、MJは三島よりずっと「慎重」だし、神の復活のために、スピノザも超えなきゃってことになると、、、やっぱり、私には1ミリの隙もなく「完璧」としか思えないんだよね。
Commented by jean moulin at 2012-03-22 18:11 x
>マラルメは「踊り子とは踊る女ではない、・・
ここだけ読むと意味不明だけど、その後の美しい「水母」のイメージを辿ると実感できるよね。
このダンスについての考察は、MJを思い起こすところが多いね。

ドガのデッサンへのこだわりは、もちろん動いているものを静止させる力もあると思うけど、アングルの「デッサンの描線は外側にあるものではない、内側にあるのだ」という言葉を引用しているように、物質的な肉(この言葉が適当かわからないけど)まで描くのがデッサンだ、という人かなと思う。
で、自分でも写真を撮ったり、ルノアールとマラルメを撮った写真なんて、絵画的できれいだよね。こういうことで3次元から2次元、もしくは時間概念も含めれば、4次元から3次元化する試みをしたり、
それから彫塑も多いけど、多分彫塑を造ることで内面を実感して、デッサンに還元していたのだと思うけど。
Commented by jean moulin at 2012-03-22 18:20 x
マラルメの詩に感銘を受けて、ドビュッシーが「牧神の午後」を作曲して、その後ニジンスキーが振り付けて、バレエにする。そして、MJがそのあたり、ごっそり持って行くってすごすぎる。

>MJを前にすると「撮らされてる」。
そうなんだね。この感じ私には実感できないけど、ただ、素敵な写真って見ちゃう。
「とにかく全力で行っといたから、おまいらも全力で来いっ!」に行けてないって事?

>こんな哲学者と画家とダンサー・・
本当にそうだね!
MJの目指していた映画、想像するだけで、神々しいものを感じるね。

映画についてはね、三島の「憂国」なんかも、私はかなり完璧に近いと思ってるんだけど。
なんかね、おっちょこちょいなとこがある人だものねえ(怒られるかな・・)
Commented by jean moulin at 2012-03-22 18:21 x
yomodaliteさんて写真が専門?
すごく写真家さんの眼だよね。
Commented by yomodalite at 2012-03-23 15:30
>三島の「憂国」なんかも、私はかなり完璧に近い…

三島を出したのは、シュレーダーの三島への感想とか、日本ではまだ許されてない、彼の歴史的評価とか、世界基準での理解のされ方を → http://goo.gl/FXzqV にちょっぴり記録できたと思ったからで、彼の最後とTIIとの比較の意味なの。

私はMJはずっと監督をやるつもりだと思ってたんだけど(主演も兼ねるとしても)、でも「Wolfed」の計画のときもそうではないし(http://goo.gl/UeNNo)、これまでのSFにしても、MJが撮らせてるには違いないんだけど、最後にこれほど映画にこだわっていたわりには、最後まで監督願望が見られないし、

やりたいという「願望」でなくても、映画の主導権を握るには、自ら監督するか、出資するか、いずれかを担わない限り、MJがどんなに世界的な有名人であろうとも、映画界は動かないと思うのね。それをやらなかったり、出来なかったことを、この頃の逆風のせいにするのは簡単だし、MJは低予算映画では満足できないというのもわかるけど、、、私にはなんか「匂う」んだよね(笑)(つづく)
Commented by yomodalite at 2012-03-23 15:31
もしかしたら、MJにとって映画というのは「作品」としての完成よりも、自分の周囲に「映画人」を配置しておくことの方に比重があって、それは「楯の会」かもしれないし、十二使徒かもしれないけど、最終的に映画を創らなかったのは、ジーザスが自分で「聖書」を書いてないことに似てるのかもしれないなぁ…と。自分で書いちゃうと、スピノザ超えどころか、チョプラ超えも危ういでしょ?

私は映画に限らず、音楽も、ステージもやらないで「待った」ところが、彼が本当に「超天才」の証だと思うの。

>すごく写真家さんの眼だよね。

ううん。私は撮影するのも、絵を描くのもダメだったので、イイのを選んだり、描いてくださいよぉとか、こんな感じで撮ってくださいよぉとか「もみ手」で言ってただけなの。
Commented by jean moulin at 2012-03-23 18:03 x
石岡瑛子さんの記事、いきなり「MISHIMA」の話で驚いた・・。
そのうち、向こうにもおじゃまするかも。

>MJにとって映画というのは・・
本当にそうかもしれないね。
そういう匂いするする。
Yさん、前にも書いてたけど、撮ろうと思えばそういう機会はあったはずだものね。

>私は撮影するのも、絵を描くのもダメだったので・・
これって、「撮る」とか「画く」って行為以前に、絶対に「眼」がないとできないもの。
yomodaliteさんには、そういうセンスと写真家さんや絵描きの眼があるんだよね。
なんか、すごーい素敵なお仕事ね。
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by yomodalite | 2012-03-15 21:57 | MJ考察系 | Trackback | Comments(16)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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