青春 この狂気するもの/田原総一朗[2]

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☆青春 この狂気するもの/田原総一朗[1]のつづき

[1]で、第一章の内容を少しだけ書き出してみましたが、本書のスゴさというか「魔力」を言葉にするのは、ものすごく難しいです...(本自体は全然難しくないのに)

どんなテーマで書かれているか?といった感じで本書を見ると「ありきたり」な表現になってしまったり、エピソードの裏側だけ紹介することになってしまったりしそうで....

本書の「あとがき」では、友人のカメラマンが、新宿西口のフォーク集会を取材しろうとしたら「マスコミ帰れ」のシュプレヒコールを浴びたことで逆上して「君たちのためにブラウン管で代弁してやるのじゃないか」と怒鳴ったら「反体制を商品にする告発ごっこは止めろ」と逆襲され、社名人りのジャンパーを破られカメラを壊された。ということが紹介されています。

これは、この「時代」の若者の記録映像でよく見られる「怒れる若者」の姿ですが、一方で、[1]でも紹介した「はじめに」の冒頭は、

テレビはつまらなくなった」「全然だめになった」

この言葉は、いまでは「東京の空は汚い」「いまの若者はわからない」などという言葉と同じく挨拶のような常套句になっている。紛争中の大学や新宿で会う若者たちは、テレビについて発言を求めると、ただ、薄笑いを浮かべるだけで真剣には攻撃さえしようとしないし、いわゆる〈文化人〉たちの中には「テレビは野球しか見なくて」とか、「テレビがないんで....」とはにかんでみせるのが、無難なポーズのようにさえなっているようだ。


で始まっていて、こういった「若者の醒めた目線」というのも、確実に存在していたようですが、この年に始まったTV番組には『8時だョ!全員集合』や『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』『NTV紅白歌のベストテン』、TVアニメでは『ひみつのアッコちゃん』『忍風カムイ外伝』『どろろ』『タイガーマスク』『アタックNo.1』など、その後何十年も影響力があった番組が多く生まれた年でもあり、映画「ALWAYS三丁目の夕日'64」に描かれた頃から、たったの5年後なんですが、

◎『ALWAYS三丁目の夕日'64』公式サイト


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当時のテレビや新聞では「怒れる若者」とか「若者の狂気」といったテーマが流行っていたようで、田原氏のTVドキュメンタリー『青春』も、そのラインに一応は沿ったものだったと思われるのですが、この本は、自ら制作し、高い評価を受けたドキュメンタリーでの「若者の狂気」が、どのように製作されたものだったのか?

という〈裏側〉を描いただけではなく....

「まえがき」で、ドキュメンタリーは「やらせ」であり〈やらせ〉のドキュメンタリーだけが、実像を捉えることができ〈やらせ〉でない〈ありのまま〉のドキュメンタリーなどは、まやかしか〈やらせ〉さえする価値のない.....

と言っているように、撮る前から徹底的に〈やらせ〉を意識していて〈やらせ〉の実体を見せることや、そこでは描ききれなかった〈エピソード〉によって、

より〈真実〉に迫ろうとしているだけでもありません。


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本書で取りあげた5つの番組は、

第一章・青春との出会い ー 彼女の内なる狂気へ
第二章・狂気のレッスン ー “怒れる” を演技するタレントたち
第三章・新宿ラリパッパ ー この華やかな騒乱ごっこの主役たち
第四章・少年院優等生 ー かれらの狂気は生きのび得るか
第五章・狂気を失った青春たち ー いまあなたが一番殺したいヤツは?


それぞれ「青春の狂気」をテーマにしていて、それらを、なんとか短い言葉でまとめるしかないとすれば、

第一章は、若い女性の内面の不可解さ、
第二章は、同世代の若者を熱狂させているバンドメンバーの「怒りの演技」の裏側にある繊細なサービス精神
第三章は、フーテンと呼ばれた、若者たちの「革命ごっこ」
第四章は、「ヤクザもどき」の「ヤクザらしさ」に生きる活路を見出す若者

を描いているのかもしれませんが、やはり、それだけではなくて、



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最後の「狂気を失った青春たち」は、

あなたは敵はいますか?
誰?
どうして?
殺したいヤツは?
いままでやった最も悪いことは?
セックスをいう言葉で何を想像しますか?
最初の体験は?
どこで?
セックスが何かの力になると思う?
オナニーはする?
どのくらい?
あなたの英雄は?
最後に青春とは?


という、街頭インタヴューのレポートになっていて、その報告によれば、30歳以上の人々にインタヴューをしかけてみたら、10人中6人は頭から拒否し、2人は途中で去り、残った2人は宗教団体の役員とひなたぼっこの浮浪者だったが、23歳以下の若者では、拒否をしたのは1人もなく、露骨すぎる質問に腹を立てた若者も結局最後まで答えた。この報告に対し田原氏は、

気の短い大人と、気の長い若者たちばかりに、ぶつかったわけではなく、大人たちが時間に追われているわけでもない。新宿でフーテンのハプニングや、交通事故でもあると、やじ馬の中でしつっこいのは、むしろ年配者に多く、

根気よくインタヴューに応じ、長々と相手になってくれるのは、若者たちの「サービス精神の豊かさとバイタリティーであり、若者とは、サービス精神にあふれ〈怒らぬ〉たくましさ、〈怒らぬ〉バイタリティーをもった種族と考えるべきだと述べ、

若者たちに、そういった(怒りの)サービスの演技を強いているのは大人たちで、それは「教育」という言葉に置き換えてもさしつかえなく、

では、大人たちはなぜ若者たちに演技を強いるのか?

ひたむきで、エネルギッシュで、ほとばしるような純粋な情熱 ー 演技

という問いに、わたしは、それを大人たちの青春への郷愁、あるいは青春をまっとうしなかった悔恨から、若者たちに夢を託しているのか、と考えたことがあるが、むしろ若者の素顔、若者そのものに対する不安、恐怖のためと考えるのが正しいようだ。

そこで、大人たちは、若者を〈理解しやすく〉〈安全な〉〈期待される人間〉に調教しようと考えた。大人たちは周到な準備と綿密な計画のもとに調教を実施した。

若者たちの間を吹き荒れている怒りと敵意のゲバルト旋風は、若者たちが、あまりに素直で、大人の仕掛けた罠に見事にはまったために生じたもの、その意味では、大人たちの調教が見事に成功したのだというべきだろう。

だが、どういうわけか拍手、喝采は起こらない。喝采どころか、きこえてくるのは、大人たちのためらいと非難の声ばかり。しかし、ためらいたいのはむしろ若者たちの方だろう。要求されるとおり、調教されるままに、ひたむきに演技しつづけてきたのだから.....。それでも、若者たちは演技をしつづける。彼らは何しろ若い。サービス精神にあふれている。

それに演技することしか知らず、迫真の演技をすることでのみ大人たちの期待にこたえられるのだと信じきっているからだ。拍手・喝采がないのは、まだ迫真力がないためだと彼らは考え、若さのかぎりを打込んで演技をしつづける。(引用終了)



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冒頭の「あとがき」の続きから。

わたしの知人たちの間では〈報道〉腕章や社名の入ったジャンパーに抵抗を感じ、マスコミ人間である印をつけずに取材に行く連中がふえている。若者たちのいう〈体制側ジャーナリズム〉の人間であることにうしろめたさを感じるのだ。

わたしにも確かにうしろめたさはある。だが、それは、商業テレビ局という組織にいるためというよりも、むしろドキュメントすること自体のうしろめたさである。対象を映像化するためにドキュメントするということに対するうしろめたさである。

わたしが、この本をまとめようとしたのは、書くということで、一度〈映像化〉ということをつっぱなし、のめり込みすぎて見逃したり、あるいは故意に目をそらしてきた事柄をできる限り執拗に見つめ直し、わたし自身を問い直し、再び歩き出すための起爆剤にしたいと考えたからである(引用終了)


こういった「うしろめたさ」は、この後に登場した、原一男氏や、森達也氏にも見られるものですし、また、ドキュメンタリー作家だけでなく、実在人物をモデルにした小説を書かれた作家にも感じられるものですが、

わたしは、本書が1969年出版であることに驚いただけでなく、これほど、その問題から目をそらしていない本も、また、テレビ全盛期に目覚ましい活躍をした、脚本家やディレクター、評論家らの回顧録や現代への警鐘をテーマにした本には、本当に時間の無駄と思える本や、真実を求めて別の「洗脳」に導かれてしまうなど、がっかりすることが多かったのですが、田原氏はそういった方々とは比べようがないほど、強靭な魂の持主というか、

テレビの〈やらせ〉の問題など、いまや「問題」と受けとることすら難しいほど「あたりまえ」で「お約束」という用語も広く一般的ですが、それでも、この本の「魔力」が失われていないのは、田原総一郎の「天才」によるとしか言いようがないです。

また、テレビの黎明期を担い、永年第一線で活躍し、未だにその力を維持している、現在の田原総一郎氏に関しては、元々、視聴者としてあまり接しておらず、数年前、小泉純一郎への応援に、その権力を行使した姿を垣間見た後は、ますます、テレビで拝見していないのですが、

田原氏は、この本だけでなく、激動のテレビ時代を生きながらも、これまでも先鋭的な著作を何冊も書いてこられていて、

『原子力戦争』『通貨マフィア戦争』『穀物マフィア戦争』『鉄神話の崩壊』『エネルギーマフィア』『遺伝子産業革命』『電通』 『巨大な落日 大蔵官僚、敗走の八百五十日』『ドキュメント東京電力』『IT革命のカラクリ 東大で月尾教授に聞く!』『脱「ダメ日本」宣言(田中康夫との共著)』『それでも、小泉純一郎を支持します』『Twitterの神々 新聞・テレビの時代は終わった 』など.....

わたしは、まだ、そのほとんどを読んでいませんが、3.11後の専業作家に現代が見えていないと感じることが多い今日このごろ、作家としての田原総一郎は、相当「スゴい」と感じたので、

この本の紹介も、とても難しかったです。抜粋したり、言葉として拾った箇所以外に漂う「妖気」がスゴいので....

★★★★☆「名著!」

[参考・関連]

◎1969年(ウィキペディア)
◎1969年[ザ・20世紀]
◎1969年の映画『薔薇の葬列』

◎田原総一朗(ウィキペディア)
◎封印なし!田原総一郎テレビ劇場
◎田原監督と私(原一男)
◎田原総一郎監督インタヴュー
◎ドキュメンタリー《やらせ》論1(1〜7まであります)


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by yomodalite | 2012-01-30 17:02 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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