闇の奥/ジョセフ・コンラッド[1](翻訳:藤永茂)

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この本は、わたしが「古い本を読まなきゃ!」って思ったときから、頭の片隅にあった本でしたが、今年最大のマイブーム「マーロン・ブランド」への興味(彼が主演した『地獄の黙示録』の原作なので)がトリガーになり、ついに読んでみることにしました。

『闇の奥』は、以前、中野好夫氏訳のものに挑戦して挫折しているので、新訳として、最初「藤永訳」(2006年)を読み、その後、さらに新しい訳本があることに気づいて「黒原訳」(2009年)を読みました。

下記は、藤永茂氏の翻訳本からのメモです。
「訳者まえがき」より、省略して引用。

1890年6月ベルギー領コンゴに渡ったコンラッドは、思惑に反して精神的にも肉体的にも散々な目に遭い、翌年病の身で帰ってきた。それから、ほぼ10年後、体験に基づいて『闇の奥』は書かれた。

この小説は文学的にも思想的にもたいへん興味深い作品で、英文学史上屈指の名作とみなされ、世界の英語圏諸国の大学で、教材として、20世紀で最も多く使用された文学作品とも言われる。

yomodalite註:この作品以外でも、英語圏で大学生によく読まれている文学作品って、いつも日本では全然読まれていない。何かの陰謀でしょうかw。

『闇の奥』の始まりと終わりの場面は、イギリスのテムズ河、物語の舞台はアフリカの中央部を流れるコンゴ河である。小説はグレイブゼンドよりなお下流の河口付近に錨を下ろしている小型帆船ネリー号の上で、イギリスの船乗りチャーリー・マーロウが4人の友人を相手に、アフリカの奥地で味わった悪夢のような体験を語る形で展開されていく。

ネリー号の持主である会社重役、老弁護士、会計士、それに、この小説の始まりの口上を述べ、マーロウを導入する第一人称無名の「私」。この4人がマーロウの話の聴き手であり「私」は始めから終わりまで熱心に話に聞き入り、小説を締めくくる役も果たす。

この無名の「私」と、マーロウの2人が、作者コンラッドの分身だと考えるのが自然だろうが、この2人の物の考え方、感じ方がそのままコンラッドのそれだとはとても言い切れない。

『闇の奥』は、ブラックウッズ・エジンバラ・マガジンという雑誌に、1899年、3回に分けて連載された。この雑誌は、当時どこの紳士クラブでも備えられていたもので、読者層は大英帝国の植民地政策を支持する保守的男性一般(批評家によっては、ウルトラ保守とも)、読者は探検物語や怪奇小説として手にしたと思われ、そうした読まれ方は、スウェーデンでは20世紀の半ば過ぎまで保たれた。

コンラッドがコンゴ河を渡った頃は、アフリカ中央部は、ベルギー王レオポルド2世の私有地になっていて、象牙や生ゴムなど資源の仮借なき収奪が行われていた。マーロウ/コンラッドを雇った会社の実名は「北部コンゴ貿易株式会社」、しかし実体は、ベルギー本国の80倍の広さを持つ国王私有地を支配するための実務機関であり、社長のアルベール・ティースは国王の実務を総括していた。


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マーロウはフランス船でアフリカの西海岸に沿って南下し、長い急流域の上流終点はキンシャサ、マーロウの物語の頃は「レオポルドビル」と呼ばれていて、会社の中央出張所があった。

マーロウは蒸気船の船長として中央出張所を出発し、2ヵ月かけて、危険をしのぎながら、話題の怪人物クルツがいる奥地出張所にたどり着く。クルツはコンゴ河上流域の奥地原住民を神のような権威で支配し、その権力を乱用し、暴力で狂ったように象牙を集めていたのである。

このクルツが、物語の焦点的キャラクターだが、コンラッドの筆の曖昧さから、読者にとってピンぼけのままで残ってしまう。真の主役はマーロウであり、彼の〈闇の奥〉への旅とそこからの生還によって達した開眼の境地が、この小説の意義を担っているように見える。これは、船乗りマーロウの「オデュッセイア」であると考えるのが、まずは素直なアプローチだろう。

マーロウ、クルツに加えて、4人の重要なキャラクターが登場する。まず、マタディで出会うお洒落の会計主任、次にレオポルドビル(キンシャサ)の中央出張所の支配人、それに寄りそう「煉瓦造り」の男、クルツの奥地出張所でマーロウの蒸気船を迎える若いロシア人。

この4人は『闇の奥』で重要なシンボルの役を担っている。シンボルと言えば、クルツがブリュッセルに残した婚約者、クルツがアフリカの奥地で捨てた黒人の情婦、この2人も重要である。(引用終了)

本書は、本文終了後に、訳註「第一部」「第二部」、また訳者の感想がまとめられた「訳者あとがき」があり、その部分だけで79ページという充実した内容。

下記は「訳註」と「訳者あとがき」より省略して引用。

「訳註 第Ⅰ部」

この小説でマーロウ、クルツなどのキャラクターと並んで、もうひとつ重要な役割を担っているのは、アフリカのウィルダネス(wilderness)である。困ったことに、このウィルダネスという英語の含意を正確に表わす日本語がない。荒野、荒地、原野、未開地.....としてみてもピッタリこない。

アフリカに踏み込んでくる白人たちに傲然とした沈黙で対峙し、無視するかと思えば、魔神のように復讐するアフリカの大自然、白人たちの侵入を拒否するジャングル、死臭をたたえて流れる大河、強烈に照り渡る非常な太陽、白人をその懐深く抱擁して悪鬼と化す森林、野獣とも見まがう黒人の群れを大挙吐き出してくるかと思えば.....その黒人たちもまたアフリカのウィルダネスの一部なのである。

名案もないままに、一度は「荒野」という訳語を一貫して当ててみたが、それでは原意が伝わらないので、原則として始めから3分の1ほどの間は、未開の大自然とか、原始の大自然とかに訳し変え、それから先は「荒野」という訳語を使った。これはもちろん芭蕉の「枯野」ではないし、T・S・エリオットの「荒地」(waste land)でもない。

ウィルダネスは日本人の自然感覚のなかには存在しない。しかし、この小説を冒険潭、恐怖小説として読むにしろ、奥深い文学作品として読むにしろ、この圧倒的なウィルダネスの存在を絶えず意識しながら読み進んで頂きたい。

◎訳註(48)
原文では「The horror! The horror!」これは『闇の奥』で最も有名な言葉だ。「恐怖だ!恐怖だ!」「恐ろしい!恐ろしい!」「恐ろしや!恐ろしや!」等々と訳せようが、やはり中野好夫氏の名訳「地獄だ!地獄だ!」に従っておく。日本語の「地獄」は幅広いニュアンスを持っている。

クルツが、そしてコンラッドがこの叫びに込めた意味は不分明であり、したがって批評家たちの解釈も実に多種多様、読んでいると何やら空しくなるほどだ。クルツはこれをフランス語で叫んだはずで、恐怖を意味していたのではなく、黒人の情人を淫乱女(古い英語で hore = 欲望する者)と呼んだのとする穿った解釈もある。

◎訳注(49)
「ミスター・クルツ ー 彼、死んだ」原文では「Mistah Kurtz - he dead」これは「地獄だ!地獄だ!」に続いて有名な言葉だろう。エリオットがその詩「The Hollow Men」の題辞として引用したことが『闇の奥』の宣伝にもつながった。しかし、これがブロークン・イングリッシュとして発音されたと考えるのは無理である。

このボーイは英人嫌いの英語嫌いの支配人(実名はDelcommune)がアフリカ西海岸から連れてきた黒人少年で、しかも、ベルギー人たちが食事をしている所にやってきて、英語を喋るとは考えにくい。

「訳註 第Ⅱ部」(こちらは、日本語訳を参照しながら英語原文を読まれる方向け)

『闇の奥』が初めて世に出たのは1899年だが、英文学者や批評家たちから精緻な視線を注がれるようになったのは、1950年前後からで、それから50年ほどの間に、コンラッドについて夥しい数の研究、評論、伝記の類が出版され、私(藤永氏)が手にしたものだけでも、優に100冊を超える。私が翻訳の底本に使ったのは

Joseph Conrad : Heart of Darkness with The Congo Diary. Edited with an Introduction and Notes by Robert Hampson ( Penguin Classics 2000 )

このあと、原文、中野訳、藤永訳という比較解説があります。

「訳者あとがき」(訳者による作品解説)

この小説を読んで、何か霧のなかにでも取り残された感じを持った読者もあるだろう。コンラッド本人がその foggishness(彼自身の言葉)は意図的なものだと言うのだから仕方がない。マーロウが語り始める所にも

the meaning of an episode was not inside like a kernel but outside, enveloping the tale which brought it out only as a glow brings out a haze, in the likeness of one of these misty haros that sometimes are visible by the spectral illumination of moonshine.

「1つの話の意味は、核のように話の内側に納まっているのではなく、その外側、つまり、白熱光がそのまわりに生み出す陽炎のように、そう、時おり、月の光に妖しく照らされて見えてくる朦朧とした月の暈にも似た、物語を包む雰囲気のなかにこそあったのだ」

とある。この「もやもや」が訳分の拙さの故なのか、それともコンラッドの意図的な不明晰さの所為なのか、英語原文に当たって確かめてみることをお勧めしたい。例えば「だらしのない悪魔(a flabby devil)」とは、中央出張所の支配人を指し、クルツは含まないにしても、虚ろな男たち(hollow men)のなかにはクルツも含まれるのか?

yomodalite註:hollow men(現在日本で入手しやすい本は、T・S・エリオット「空ろな人間たち」)

こうした曖昧さや多義性ははじめマイナスとして評価されたが、20世紀中頃からの文学批評の華々しい展開につれて、大きなプラス要素として持ち上げられるようになり、時代に先んじた画期的な文学作品としての名を高めた。

この100年間の『闇の奥』解釈の歴史をたどると、クルツの最期の叫び「The horror!The horror!」に込められた意味、マーロウの「嘘」、マーロウと無名の「私」とコンラッドの相互関係、等々について『闇の奥』の定番の読み方などありそうもないような印象を受ける。

1975年、ナイジェリアの著名な黒人作家で、当時マサチューセッツ大学の英文科で教鞭を取っていたチニュア・アチュベは『闇の奥』を「侮辱的で全くけしからぬ書物と決めつけ、コンラッドを「べらぼうな人種差別主義者」と呼んだ。

アチュべ以前の『闇の奥』の読み方として、有名な社会学者ハナ・アーレントは『闇の奥』を彼女一流の明敏さで的確に読み取り、『全体主義の起源 2 帝国主義』で、その人種論を展開した。これを高橋哲哉氏は『記憶のエチカ』の中で「〈ヨーロッパ人がアフリカで行った恐るべき殺戮〉はヨーロッパ人でなく、アフリカ化したヨーロッパ人が行った」と要約した。

これほど都合の良い責任転嫁があるだろうか。訳註でウィルダネスに注意を喚起したように『闇の奥』でコンラッドがそれに振り当てた役割、ヨーロッパ白人の悪魔化の役割の意義はまことに重いのである。

『闇の奥』に対する1975年のアチュベの攻撃を迎えて、英米のコンラッド学者たちは総力を挙げて反撃を開始し、それから30年後の現在、アチュベの異議申し立ては彼の偏向した「読み違え」として却下された。

その判決を要約すれば『闇の奥』はヨーロッパ白人による植民地支配と搾取の一般に対する仮借のない批判攻撃であり、その残虐行為の対象となった黒人たちに注がれた同情と賞賛を含んだ眼差しを、彼が「だらしのない悪魔」と呼んだ白人たちに対する軽蔑の眼差しと較べれば、コンラッドは、アチュベの断定とは全く裏腹に、むしろ反人種主義者であった。というものである。

しかし、果たして、これで良いのだろうか?ヒトラーとユダヤ人大虐殺は誰もが知っている。しかし、ベルギー王レオポルド二世とコンゴ大虐殺と知る人が、どれだけいるだろうか?

コンラッドの『闇の奥』には、コンゴ自由国もコンゴ河の名も出てこない。物語が始まり、終わるベルギーの首都ブリュッセルも「白く塗った墓をいつも連想させられる都市」とされ、レオポルド二世に対応する人物も登場しない。これをナラティブの技巧とみるかどうか。

高橋哲哉氏の『記憶のエチカ』の第二章「〈闇の奥〉の記憶」では、コンラッド、アーレント批判が提示され、アチェベの名も、その批判を手ぬるいとしたエドワード・サイードの名も顔を出している。

もし、コンラッドがレオポルドのコンゴをヨーロッパによるアフリカ侵略の例外と考えて執筆したのなら.... この小説をめぐるアチュベ以来の植民地主義の論議、そしてコンラッド自身が「a bloody racist」であったか否かという問題も、あらためて検討の必要があるだろう。(引用終了)

この「訳者あとがき」での問いかけを発展させたのが、藤永氏の著書『「闇の奥」の奥』そこで藤永氏はベルギー国王レオポルド2世によるコンゴでの黒人虐殺・収奪の悲劇を中心にすえて、西欧中心の歴史の検証をされています。

◎『闇の奥』藤永茂訳(レヴューはどの翻訳本もすべて同じなのでご注意ください)





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Commented by jean moulin at 2011-12-27 18:22 x
それで、カーツの独白を読み返したり、コッポラがエンディングに迷い続けてる事を考えた時に、コッポラの作ろうとしていたものは、『「何もない』が現れる」だったんじゃないかと思ったの。
ごめんなさい、この辺の展開、全然クリアじゃないよね。
で、yomodaliteさんにそのことをお話するには、もう一度、「『何もない』が現れる」をちゃんと読まないとと思って、読み直していたの。
そしたら、こんな記述を見つけてね、ちょうど、上の引用に続くのだけどね。
「『何もない』、これは『言葉』が『現実』の接近、露呈に対して語り得るほとんど唯一の『言葉』である。と言うのも、それは『言葉』にとって何か描き得る輪郭のあるものの接近ではなくて、自身の消滅、自身の無に他ならないから。コンラッドの『闇の奥』の主人公なら『Horror! Horror!』と口にするしかないような・・」
なんだか、接近してきた?
もう少し考えて、「闇の奥」も読んで、明確にしていければいいかな。
Commented by yomodalite at 2011-12-27 23:16
私の聞きたいっ!にいっぱい反応してくれて、感激です!

「地獄」に関しては、今日3バージョンDVDが届いたところなので、これまでに思ったこと以上に、エンディングに関して言えることはないんだけど、、それはすっごく時間かかりそうなので、今思ったことだけで、返信させてね。まず一番グッときたのは、

>丹生谷さんは、私が敬愛している思想家で、この人に答えるためにものを作っているところもある....

ってとこ。moulinさんの「想像の翼」の話で丹生谷氏に興味が湧きました!

でも、私は、今のところ丹生谷貴志氏についてわからないし、マズいことに、MJショックから、滝のように流した涙で洗い流したものの中には「日本人が語る“ポスト・モダン”」があって、何ていうかな、、私自身は、そこから「信念」に繋がるほど強く「わかる」ことは出来ないなって思ってしまって、それで「古典」を読まなきゃ...(ぐっすん)みたいなことになってるのね。

それは、三島のことを考えるのに、フーコーとか、ドゥルーズとか迂回するなんて、日本人として卑怯じゃん!!! みたいな感覚なんだなぁ。(ここんところが、なぜか三島を論じると混沌と...っていう答えではない?)(続く)
Commented by yomodalite at 2011-12-27 23:17
でも、それと、丹生谷氏が、moulinさんの「想像の翼」であることは、別だし、moulinさんが「豊饒の海」片手なのかも少しわかったような気がする。という「わかり方」への興味とも別なのね。

そこのところを、ご了承していただいたうえに、さらに、私たち「ウータン」同士じゃんw。だから、愛を込めて、テキトーに共感するようなことは言わないよってところも、了承してって....もう「ハンコ」押させ過ぎ??(笑)

私も、コッポラがどう考えてっていうのと、ブランドがどんな風にカーツを想像したのかってところと、自分だったら、どんなエンディングにするかなぁっていう、3つに分裂しちゃうんだけど、ただ、

コッポラならってことで、考えてみると、彼が、ロジャー・コーマンのところから、キャリアをスタートさせて、黒澤明の熱狂的なファンだということから考えて、「何もない」というような最後にはしないと思う。それだと、ヨーロッパ映画になっちゃうでしょ。(続く)
Commented by yomodalite at 2011-12-27 23:18
それは、ハリウッドのプライドからも、黒澤ファンとしても「ありえない」んじゃないかな。

黒澤と三船の関係と、コッポラとブランドの関係も似てるんだよね。この4人は全員「牡羊座」で、こーゆー最後の「ギリギリ」の判断で、フーコー(天秤座)的な判断はしないと思う。

むしろ、それが選択できるんだったら「エンディング」完成してると思うんだよね。

「豊饒の海」の件は、もう一回見直してみて(長っ)、あと、橋本治の「三島由紀夫」とはなにものだったのか」も、読み直して見たくなっちゃった!
Commented by jean moulin at 2011-12-28 11:48 x
こちらこそ、いつも丁寧に答えてくれてありがとう。
なんか、ばっらばらにコメントいれて、ごめんなさい。
> 愛を込めて、テキトーに共感するようなことは言わない
了承、了承、同意を求める話なんて、つまらないもの。
>「日本人が語る“ポスト・モダン”」・・
うんうん、確かにね。丹生谷さんも、ポスト・モダン系というか、フランス現代思想系というか、そういう人たち独特のわっかりにくい文章よ。
直接お話聞くと、全然そんな事ないんだけどね。
(続く)
Commented by jean moulin at 2011-12-28 11:50 x
>それは、三島のことを考えるのに、フーコーとか、ドゥルーズとか迂回するなんて、・・
確かに・・、三島にフーコー乗っける事ないよね、と思う事ある。
私、ロラン・バルトは、文学としてとても好きなのだけれど、ドゥルーズ、フーコーは、想定外に長生きしない限り、立ち入らないつもり。

>「何もない」というような最後にはしないと思う。
そう思う、私が言いたかった「『何もない』が現れる」も「何もない」じゃないんだけど、
それが、うまく伝えられなくて・・、課題。

三島関連本だと、平岡梓「倅・三島由紀夫」不思議な本、おっもしろいよ。
(続く)
Commented by jean moulin at 2011-12-28 11:51 x
今年はなんだか、唐突にブログを始めて、ちょっとご挨拶と思ってyomodaliteさんとこに来たのに、いろいろお話しさせていただく事になって、本当に楽しかったです。
どうもありがとう。もともと、大好きなブログだったけど、直接お話させていただいて、もっと純度の高い方だなあと思いました。ブログでさえ、かなり、フィルターかかってるのよね。
yさんみたいなセンサーの人には、生きづらい世界かもしれないけど・・、きっと世界は美しいから、大丈夫(って意味不明・・。)

というわけで、これから所用で、実家の兵庫に省らなきゃいけなくて・・。

マイケル・ジャクソンの存在にあらためて感謝する1年でした。

(ひとまずおしまい)
Commented by yomodalite at 2011-12-28 23:35
>なんか、ばっらばらにコメントいれて、ごめんなさい。
moulinさんのコメントは、http://nikkidoku.exblog.jp/16929281/ から続いてます。

>ちょっとご挨拶と思って....本当に楽しかったです。
こちらこそです。三島本の紹介もありがとう。その本は昔読んだことがあったのだけど、再度読みたくなりました。(三島の再ブームもこっそりと来てるので)

私はコメントくれた人全員、自分とどこかが繋がっている人だと思っているけど、MJはやっぱりロマン派だから、moulinさんのような作品の人に出会えるのは、すごく貴重に思えて。。。

それで、もう帰省されてるし、来年もよろしくね!ってあっさり締めしたかったんだけど、「『何もない』が現れる」も「何もない」じゃないんだけど....っていうところを、ちょっぴり予習したくなって「三島由紀夫とフーコー<不在>の思考」をパラパラと見てたら、色々思いついちゃったので、またもや長々と書いてしまうね(呆)(つづく)
Commented by yomodalite at 2011-12-28 23:42
>ドゥルーズ、フーコーは、想定外に長生き....つもり。

うん....わたしも、MJから学んだことは一杯ありすぎるけど「残り時間」の感覚はものすごく大きくて....私はごく幼い頃にシュルレアリスムの衝撃を受けたせいか、相当大人になるまで、文章も「絵」として読んでたのね。でも、十数年ぐらい前から、そうじゃない方向に目覚めて、、それは山本七平、山本夏彦、小室直樹、副島隆彦の影響が大きいのだけど、そこにトドメを刺したのが、MJだったの(笑)

彼らの共通点は(F先生もそう)この人たちを知ると「100年」ぐらいがわかることで、たぶん、自分の残り時間を考えて、100年レベルの「知」じゃないとっていう理由から彼らを選んでいたのかも(MJはロマン派よりも前まで溯れるから、少なくとも300年ぐらいの歴史をしょってるけど)

「三島由紀夫とフーコー<不在の思考>」をパラパラと見てたら、三島を「イメージ」として捉えている、素敵な言葉が一杯あって、そういえば、昔は、こんなふうに本を読んでたなぁとか、自分がロマン派とは、180度違う場所にいたことを思い出して....しばし、ぼんやりしてたんだけど、、残り時間のこともあるので、テキトーに断定するけど、、(つづく)
Commented by yomodalite at 2011-12-28 23:42
多くの芸能人や、様々な人が無実の罪で、実際に刑務所に入れられたりしてるのにも関わらず、どうして、MJが亡くなったときにだけ、これほど多くの人が、彼に「救世主」を見てしまうのかが不思議だった(自分もそうなんだけど)のだけど、

そういえば、フランス現代思想が関係してたのかもね。。

丹生谷氏は、フーコーやドゥルーズの精神とは関係のない「美学」の人だと思うけど...

そんなことも、三島のことも、それから、三島とMJの関係も、そして、もちろん、三島とコッポラのことも、、、あれこれ溜ってしまって、、田舎がないので東京にいるけど、大そうじしたり、他の読書メモも溜ってるので、この続きは、是非、来年つきあってくださいませ。

>生きづらい世界かもしれないけど...
どっちかって言うと、、自分の幸せを、おすそ分けしたいという気持ちの方が強いかもw
Commented by jean moulin at 2012-01-04 17:22 x
ちょっと遅くなりましたが、明けましておめでとう!
私が納屋掃除をしている年末年始の間に、感動的なコメントや、興味津々な記事がたくさんで・・。
>私はコメントくれた人全員、自分とどこかが繋がっている人だと思っているけど
本当、ここにコメントされる方は、皆さんすばらしい見識の教示だったり、繊細な感性の表現だったり、素敵!
MJ記事の時は、不思議さん(あくまでここにおいてよ)もいらしたけどね。

「くるみ割」の、mari-koさんとの対話も本当にすばらしくて、新年早々、清々しい気持ちになりました。
「芸術は世界を救う」とかいいながら、結構へこみそうになるんだけど、こういう美しい精神に触れると、とても元気がでる・・。

>MJはやっぱりロマン派だから、moulinさんのような作品の人に出会えるのは、すごく貴重に思えて。。。
ちょっと、うるっとしちゃった・・。
yomodaliteさん、こんな事言うの苦手でしょ。
しかも、MJから私の作品に絡めてくれるなんて。本当に嬉しいです。
ロマン派の話はまたゆっくりしようね。
Commented by jean moulin at 2012-01-04 17:24 x
>「三島由紀夫とフーコー<不在の思考>」をパラパラと見てたら
丹生谷さんの本見てくれたの!?図書館にあった?
しかも「倅」を読んだ事あるって、さすが力士!
>そういえば、フランス現代思想が関係してたのかもね。。
私ね、MJに傾倒してから、この人は、ヨーロッパコギト哲学が長年悩んできた事を一蹴していると思ったのね。
アントナン・アルトーの”Corps-sans-organes”とかも。
でも、前に、あんまりMJに良い印象を持っていない人に、ニーチェ絡みで話して、寄って来てもらおうと思ったら、返って引かれてしまって、慌てて、「オックスフォード」で戻ってきてもらった経験があるので、丁寧に考えないとと思ってるんだけど。

>幼い頃にシュルレアリスムの衝撃・・文章も「絵」として・・
もっと聞きたい!また記事にして

まだまだお話したい事があるけれど、また時系列無視でコメントさせていただきます。
今年もどうぞよろしく!
Commented by yomodalite at 2012-01-04 22:33
おめでとーー!!!
>MJ記事の時は、不思議さん...
うーーーん.....私が変なこと言いたい人だし.....コメントくれる人や、読んでる本に影響受けやすいの。今は真面目な方が多いし、、うっかり重量級の本に真面目に感動しちゃってるから....ホント困ってるんだよねw

>yomodaliteさん、こんな事言うの苦手でしょ。
いやいや、そんな感じで世の中泳いできた(ナンてね)

>この人は、ヨーロッパコギト哲学....一蹴していると思ったのね。
私デカルトのことなんて考えたことないし、アルトーも彼の詩しか知らなくて、ドゥルーズ=ガタリが言ってるアルトーの事はわかんないんだけど、、安富歩氏(http://ameblo.jp/anmintei/entry-10420348995.html)がMJを優れた思想家って言ってるのは、スピノザ(Ego sum cogitans)を超えてるって意味だとすれば、そーゆーことなのかな。(つづく)
Commented by yomodalite at 2012-01-04 22:34
I am the thinker...(Are You Listening?)は、西洋と東洋を融合してるしね。でね、そーゆー意味も含めて、MJと落語の話をするのが夢なの。立川談志が落語について言ってることは、ドゥルーズ=ガタリがアルトーで言ってることより面白いというか、MJに近いんだよね。談志はアステアの大ファンだし...弟子の昇級も、音曲が絶対条件なんだよね。

>時系列無視でコメントさせていただきます
楽しみにしてます!こちらこそよろしくね!!!
Commented by yomodalite at 2012-01-05 01:05
ごめん、、ちび追加。

>そういえば、フランス現代思想が関係してたのかもね。。

これは、これが流行ってた時期に、MJが拒絶されてったっていう意味で言ったの....(コレを書いたときは、なんかスリリングな気持ちになってたんだけど、、今、思い出そうとしても、なんか思い出せないなぁ....年のせいでしょうかw )
Commented by jean moulin at 2012-01-05 09:19 x
年末ね、ちょっと個人的にいろいろあって、Yさんと話したいなあ、と思ってて戻ってきたものだから、つい、自分よりな話になっちゃた・・。
いつも、何でも答えてくれるから、甘えてしまって・・ごめんね。
>MJ記事の時は、不思議さん・・ これ、yさんを悩ました方達のことだからね。(念のため)
>安富歩氏がMJを優れた思想家・・
早く書籍化されるといいな。
>MJと落語の話をするのが夢・・
落語って聴きに行った事ないの。本当に笑えるの?またいろいろ教えてね。確かにドゥルーズ=ガタリもアルトーも全く笑えないもの
>これは、これが流行ってた時期に、MJが拒絶されてったっていう意味で言ったの....
うん、そういう時代よね。私もそれにはめられたかも・・。
>なんかスリリングな気持ち
思い出したら教えてね。
今年は、フレディとの共作もリリースされそうだし、Bad25周年だし、何か良いことあるかなあ。
「M poetica」Kindleに苦戦中。「All in your name」の映像も2回もダウンロードしたのに、iTunesで開けなくて・・(泣)
Commented by yomodalite at 2012-01-05 19:16
>いつも、何でも答えてくれるから、甘えてしまって・・
そんな風に思ってくださるなんて光栄です。でもお互い様ですから(はぁと)あと[念のため]も了解です。でも「方達」ってことはなくて、

悩んだ人は1人だけで....その人はコメだけでなくて、メールも頻繁にくれる人だったのね....コメ返してるのに、さらにメールで感想を求められたりして、、で、メールで無理だって言ったり、コメント承認しないと、何度も書き直してくれて....コメントの添削っていうか、点数を聞かれるみたいなね...(泣)

承認してもしなくても、それについて「メール」が来て.....で、もう書きませんっていうメールも何通ももらったんだけど、しばらくすると何事もなかったかのように....決して悪い方ではなかっただけに、、胃が痛くなってしまって....悩んだのは「その人」だけです。

>「All in your name」のDLは、Meeさんもバリーにメールで問い合せたって....Meeさんがダメだったら、もう日本全体で無理でしょって、あっさり理解しちゃってたんだけど、どなたか成功された方おられるんでしょうか?

>Kindleに苦戦中
これもDL?それともアップル「アプリ」の操作がムズいって意味かな?
Commented by jean moulin at 2012-01-06 16:52 x
>悩んだ人は1人だけで....

そっかぁ その方、yomodaliteさんがとっても好きで、憧れていたんだねえ。
なんだか、ちょっと切ないね。
でも、そういう自己治療的な事に付き合うと消耗するよね。(ご覧になってないよね、ここ奥だし、下だし)

>「All in your name」のDLは、Meeさんも・・
Meeさんも、納屋掃除中にいろいろ更新してくれてるね。「M poetica」とかも・・。
あとで行こ。

>Kindleに苦戦中
これね、PCからはKindleにアカウント作って、そこからは購入できそうなんだけど、今回はipadから読むって目標があるから・・、ipadにKindleアプリも入れて、そこから、Kindleのサイトに行こうとするんだけど、それがうまく行かないの。Ipadの先輩に聞いたところ、そのKindleアプリが悪いんじゃないかって言われて、別のアプリを探す事に・・ってところで、頓挫。
ちょっと落ち着いたら、もう一度挑戦するね。
Commented by yomodalite at 2012-01-06 23:07
>ここ奥だし、下だし
いや、、右側の最新コメントから見てくれる人が結構いて、奥とか下とか、関係ないから....

>もう一度挑戦するね。
じゃ、それが上手くいった報告を聞いてから、購入検討しようっと。
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by yomodalite | 2011-12-08 13:59 | 文学 | Trackback | Comments(19)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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