よく生きる智慧 ー『預言者』/カリール・ジブラン、柳澤桂子(訳)[2]

f0134963_10491733.jpg



そういえば『恥ずかしい読書』に、本を逆さにして読むことの効能が書いてあったかも・・・

さて、[1]では『預言者』は読んだだけでは「来ない」本だと言いましたが、柳澤氏の『よく生きる智慧ー完全新訳版「預言者」』は読むだけで「かなり来ます!」

『預言者』の翻訳に至るまで(冒頭のエッセイより省略・要約して引用)

“The Prophet”は、この80年のあいだに、世界の20カ国以上の国で翻訳され、じつに2000万人以上の人々に読まれていると言われています。しかし、日本では何度か翻訳を試みられながら、いまだ世の耳目をそばだたせたことはありません(中略)

世界の国々で、教養のある人は皆読んでいるような本を日本でも広く知らせたいという私の気持ちは強くなる一方でした。その気持ちを、小学館の編集者に話したところ、彼は、こともあろうに、わたしに般若心経の現代語訳を銘じてこられました。

尋常を絶する直感力で、私と『預言者』の結びつきの前に、私と般若心経の運命的つながりを洞察されたようです。


『よく生きる智慧』より前に出版されて大評判になった、現代詩訳の般若心経本!

◎『生きて死ぬ智慧』(アマゾン) 

般若心経では現世を超越する死生観、つまり「生きて死ぬ智慧」がテーマでした。これに対し『預言者』ではあくまでもこの人間社会の普遍的な倫理、この世のこの生 ー 私たちの日常の日々を「よく生きる智慧」がテーマです。(引用終了)

さらに、冒頭のエッセイで、柳澤氏は、コロンビア大学大学院で博士課程終了、Ph.Dを取得された生命科学者でしたが、ES細胞やiPS細胞の研究に関連した遺伝子研究で、世界をリードしていた矢先に、原因不明の病気に襲われ、研究者としての道を閉ざされ、

また、病気の原因がわからず、様々な病因をたらい回しにされたことで、芽生えた医学への不信、苦痛への周囲の無理解から孤独の奈落に突き落とされ、その絶望をジブランの詩が、いかに救ってくれたかが語られているのですが、

このエピソードは、柳澤氏の個人的な物語としてだけでなく、読者の心の扉を開ける準備運動になっていて、これに続く、ジブランの思想説明も、わたしが何度か読んで、長い間に、ようやく「そうなのかなぁ」と思ったことに近い説明がされていて

「最初から、柳澤訳で読みたかった...」と思う内容だったので、一部引用します。

彼の宗教面での思想は、すべての生き物は神聖に存在し続け、生命は再生するという確信です。これは一見、ニーチェ哲学に影響を受けているかに見えます。しかし、ニーチェのようなニヒリズムとは無縁です。

善と悪について語るとき、彼はそれがわれわれ全体の一部なのだといいます。彼は絶対的な善や悪を否定します。彼は書きます。

「直立している彼と倒れている彼は、夜の小さな自己と昼の神の自己の闇の薄明かりの中に立っている1人の男に過ぎないのだ」

ですから、アルムスタファは、いかに凡俗に絶した叡慮を示したとしても、ニーチェが仮想したツァラトゥストラのような超人ではありません。ニーチェ哲学特有の宙返りするような思考の飛躍や、錐もみするような論理の迷宮はありません。

すべての人は、この世にあるべきようにあればいい。そういう単純きわまりない我が身の養い方だけを告げます。いたずらに宗教がかった啓示で驚かせることは決してありません。(中略)

ジブランは、いのちを黒白に分ける一本の線で見ない。いのちを白地一色の面で見る。いい人、悪い人の別はない。好きな人、嫌いな人の分け隔てもない。哲学者や裁判官のように善悪・正義の峻烈を定めることもなく、誰もができる「よく生きる」法だけを諭す。

そして知らず知らずのうちに、聴く者に無類の倫理性と智慧の深みを伝染させてしまう。人の善性に対する、しんじつ心を尽くした信頼の完璧さは、胸がすくほどにいさぎよいと思います(本書タイトルの『よく生きる智慧』を名づけた理由を、このリフレーン幻聴体験から推測していただければ幸いです)(引用終了)


ね!なんか、「マイケル来たーーー!」って感じしません?

この「エッセイ」は30ページほどあって、『預言者』の世界に、読者を導くうえで必要な説明が過不足なくされている無駄のない文章で、わたしはこの本からスタートするのが、もっとも「近道」だと思いました。

エッセイによる説明だけでなく、詩の訳し方も、もっとも普通の文章で、そこも、わたしは重要だと思いました。多くの人が、ジブランの文章の美しさを称えていますが、ステラが言うように、この本で真っ先に重要なのは「わかりやすく自分なりに言い換える」ことだと思うんです。

有枝 春氏の『預言者のことば』では、冒頭に、デヴィッド・ボウイやジェイソン・ムラーズが曲や著書の中で一部を用いていること、また写真家の星野道夫氏もエッセイ『長い旅の途上』で、詩の一部を紹介していることなどが書かれています。(星野道夫氏は、MJが旅立ったときに、わたしが一番最初に思い出した人です)

最初の詩編「船の訪れ」の冒頭部分を引用します。

あらゆるものを誘う海が私を呼んでいる。旅立ちの時だ。

選ばれし者、愛されし者、自らの日々を照らす太陽、アルムスタファ。彼は遠いオルファリーズの町で12年間、故郷の島からやってくる迎えの船を待ち続けていた。そしてついに、その12年間の収穫の月、アイルールの7日。彼が町の城壁を出て丘を登り、海のかなたを眺めると、薄もやのなかから船が姿を現した。


下記は、柳澤氏の本の同じ部分「決別の船出」。

どうしたら悲嘆にくれずにおだやかな気持ちで、この街を去ることができるだろうか....

アルムスタファは誰からも好かれ愛されていました。時代の夜明けを告げるように、若く輝かしいアルムスタファ。かれはオーファーリーズの街で船を待っているのです。その船はかれを生まれ故郷の小島へつれて帰るために、こちらに向かっているのでした。

この街に来てから12年目の刈り入れの月であるアイリールの7日目に、アルムスタファは、塀のとぎれている街角から丘に登り、海のかなたを眺めました。海のかなたから霧に包まれて進んでくる船が見えるではありませんか。


有枝氏の訳は、船井氏、池氏と大雑把に言えば同じで、前述の神谷氏の文章は柳澤氏にやや近いのですが、神谷氏の訳は『預言者』全文ではなく(それと『予言者』でなく『預言者』の方がいいと思う)柳澤氏訳の方が「わかりやすく自分なりに言い換える」ことにおいて、より確信的で、

柳澤氏の強い想いに助けられた方が、この物語の扉が開きやすいと、私は思いました。

◎『よく生きる智慧ー完全新訳版「預言者」』(アマゾン)

☆皇后陛下も愛読されてます。
◎カリール・ジブラン(ハリール・ジブラーン)ウィキペディア


[PR]
トラックバックURL : http://nikkidoku.exblog.jp/tb/16778765
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by chico at 2011-11-04 15:48 x
預言者は佐久間彪氏訳のものを持っています。マイケルの愛読書の一つと知って読みました。でもなかなかすんなりと入ってこなくて・・。私には難解で、何度か挑戦してもいつも三分の一くらいで既に集中出来なくなり眠くなってしまって(汗)
柳沢氏訳で扉、開きました。マイケル来ました~(笑)冒頭の船出の所からしてわかりやすくて、嬉しくなります。早速読もうと思います。良書のご紹介、ありがとうございました!!
Commented by yomodalite at 2011-11-04 22:18
chicoさん嬉しぃーー!!! そうなんだよねー。佐久間氏の訳は素敵なんだけど、ホントMJ愛をもってしても、入り込めなくて眠くなっちゃうんだよね。他の翻訳者の方も、皆さん、出来るかぎりシンプルに分かりやすくすることに取組んでくださっているのだけど....柳澤氏は「絶対に解らせる!」という思いが誰よりも強くて、その信念が「確信的」な訳になっているから、他とは全然違ってて、これだと、ステラが言うように、引きつけられる章を何度も読めるし、

これで読むと、もうアルムスタファが、完全にMJに見えてきて「船出」のとこから号泣しちゃうし、これまでも「MJの旅立ち」って絶対に書くようにしてたんだけど、やっぱり間違ってなかったって思えて、すごくうれしかったなぁ。
Commented by chico at 2011-11-11 18:04 x
yomodaliteさんこんばんは。読みました「よく生きる智慧」!!
もう~ホントにホントにアルムスタファがマイケルそのものに見えてしまってます!持っていた預言者では感じ取れなかったことがこの本では感じ取れますね~。私は前から、MJは預言者のような役目を持って生まれてきた、もしくはそうでありたいと努力し続けた人なのではないかと考えていたんだけど・・やっぱりそうだったのではないかと思えてうれしくなりました。「旅立ち」ステキな言葉ですね!そう、旅立ちなのかも。。
また誰かの腹から生れでるまでの・・。MJの思想に少し近づけますね☆ありがとうございます!!
Commented by yomodalite at 2011-11-11 23:24
よかったー!!! ホント「旅立ち」が公式見解になればいいのに。。MJは20歳ですでに読んでいたんだよね。。でも、こーゆー本って、ホントに自分の状態で全然違って読めるのかもね。。柳澤氏の翻訳がどんなにわかりやすくても、やっぱりわたしが20代で読んでても、どのくらいわかったか疑問だし、あと10年後に読んだら、また違って見えたりもするのかなぁ。。。

翻訳の違いと言えば、永江氏おすすめの鴻巣友季子訳の『嵐が丘』もやっぱりスゴくて「あとがき」に書いてある鴻巣氏の解釈はかなりスリリングでした。。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by yomodalite | 2011-11-04 11:29 | マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(4)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite