追悼〈下〉/山口瞳(著)中野朗(編)

追悼〈下〉

山口 瞳/論創社



『追悼〈上〉』に続いて下巻も読了。

上巻と同じく、本書で追悼されている方々は、知らない方が多いのですが、何冊かの本と、何本かの映画で知っている、寺山修司から読んでみました。

(以下、本書から引用)寺山修司に最後に会ったのは、1昨年の11月、府中の東京競馬場ゴンドラ席、ジャパンカップという国際招待レースの行われた日だった。

彼は、いきなり、私を指さしてケタケタを笑った。それは軽蔑と親近感のまざった笑いだった。彼が指さしたのは私の持っている競馬新聞だった。それに気づいて、私も笑った。

私は蛍光ペンでもって逃馬を黄色に、追込馬を桃色に塗り潰す。そうするとレース展開がよくわかる。だから、私の競馬新聞は、かなり派手なことになる。寺山修司は、それを笑ったのだった。

(引用終了)

競馬とかギャンブルというのは、わたしには一番わからない世界なのだけど、素敵だと思う男にはギャンブル好きが多くて、この謎はずっと解けそうにない。

山口氏の文章では、このあと、寺山が馬券を買うところを目撃したときのことが書かれていて、寺山がスポーツ新聞に書いていた競馬予想とはずいぶんと違う、正統派で生真面目な買い方をしていたことや、

地方都市から出てきて、俳句、短歌、詩、演劇、小説、評論、映画のいずれの部門でも大成しようとして、その無理を押し通そうとして夭折したのが寺山修司であり、「傑作」だった、その葬儀の場面が描写されている。

坂本九への追悼は「ウへホムフイテ」というタイトル。

永六輔氏の「ウへホムフイテアハルコフホフ・六から九への弔辞」という追悼文が出色だったとして、冒頭に紹介されている。(以下、引用)

ずっと昔のこと。「上を向いて歩こう」という曲が出来た時、
八大さんが坂本九という少年を、「この子に歌わせるから」と連れてきた。
少年は「上を向いて歩こう」を、ウへホムフイテアハルコフホフと、
妙な節回しで歌い、僕は不愉快だった。
そのコフホフホフが、あっという間に、ヒットソングになった時、
この少年に対する拒否反応が芽生え始めた。


追悼文というのは、特にそれが不慮の事故死であったとき、故人を褒め讃えるものときまっている。「死んだ人の悪口を言うな」と言う。

しかし、人間には長所と短所があり、その短所を書かなければ、故人の全体としての人間像が浮かび上がってこない。すなわち、本当の追悼文にはならない。
私はそう思っている。短所が長所につながる場合もある。

追悼文で故人の短所や欠点を書くときは胸が痛む。とても辛い仕事だ。永さんの追悼文からは永さんの痛みが伝わってくる。そうでなければ駄目だ。

九は「九ちゃん」といわれたい。そう言いながら「九ちゃん」でいることに、
心底疲れていた。
笑顔を見せ続けることに疲れていた。
九は嫌われることを恐れていた。
誰にでも好かれようと努力していた。
少なくとも、ファンの前では、そして、僕の前では。


このあたりを永六輔さんは泣きながら書いていたと思う。泣きながら書いたら良い文章になると言えないが、ちかごろ、特に小説では、この作者は泣きながら書いていると思われる文章にお目にかかることが少なくなった。心情を吐露するということが少なくなってしまった。

(引用終了)

注:上記も含めて、引用箇所は、これらの方の文章の導入部をメモしたかったからで、本書の内容のハイライトとは異なっています。氏の文章のスゴいところは一部分だけ抜粋すると、誤解を招きそうな深い文章なので。この坂本九の文章も、本書内では短く軽い内容ですが「深イイ話」という以上のギラリと光る部分あり。(三浦和義とその夫人、坂本九の奥さんへの優しさなどのエピソードが含まれている)

と、山口氏は書いている。小説ではどうかわからないけど、追悼文といった文章で、山口氏のように痛みを伴い、故人の命に寄り添ったような文章に出逢うことは、本当に無くなってしまったと思う。

この本に収められている「知っている人」の中で、わたしが実際に彼らが亡くなったときに泣いた人はひとりもいない。わたしは、そういった「有名人」をそれほど近しい者とも感じていなかったし、「死」についてもあまり考えていなかった。

それなのに、本書を読んでいて、上巻でも、下巻でも、何度も何度も泣かされた。

注:一般的に、泣かされるという感動の種類とは、異なる深い内容ではあるのだけど、誰からも愛されたかった男が、それ以上に多くのひとを愛そうとしたときの「無理」や「嘘」について、この2年間、何度も考えてきたからかもしれません。

山口氏も、泣きながら書かれたのだろうか。でも、泣きながらと言うよりは、血を流しながら、胸が張り裂けそうになりながら、書かれたのではないかと思う。

これらの文章は、週刊新潮の「男性自身」という連載コラムに書かれたもので、この連載は1963年の12月から1995年の8月まで、1614回書き続けられたもの。

上巻の向田邦子への文章はこのコラムの中で、8週にわたって書かれ、三島由紀夫への文章は7週、親友であった梶山季之へは過去最長の9週にわたって書かれた。下巻では、吉行淳之介への文章が7回にわたって書かれたもので、吉行氏出棺の日に前立腺肥大の手術を控えるという自身の闘病とも重ねあわせられたものでした。

上巻への感想で言ったことを繰り返しますが、

山口瞳が生きていた時代に、亡くなったひとは、幸せだったと思う。

これまで山口氏の作品を読んだことがなく、この作品を読もうと思ったきっかけが何だったのかも思い出せないのだけど、その幸運な出会いに感謝し、

これらをまとめて出版された、中野朗氏には、本当に本当に素敵な本を、どうもありがとうと言いたい。山口瞳の本をこれから読もうと思っただけでなく、何人もの素晴らしい人のことを知ることが出来ました。

まだ、8月だけど、本書の読書は今年一番記憶に遺ると思う。

☆☆☆☆☆(満点)

◎『追悼』〈下〉(アマゾン)

◎[西日本新聞] 故・山口瞳さんが残した追悼文を集めた「追悼 上」(論創社)が出た
◎[文壇高円寺]山口瞳『追悼』

_________________

〈下巻〉池田弥三郎、金原亭馬生、ロイ・ジェームズ、寺山修司、森安重勝、林達夫、今日出海、藤原審爾、守谷兼義、川口松太郎、坂本九、川上宗薫、岡田こう(銀座「はち巻き岡田」女将)、島田敏雄・円地文子、中村琢二、山本健吉、草野心平、大岡昇平、吉川忠直、色川武大、美空ひばり・尾上松緑、山田たね、徳田義昭、隆慶一郎、開高健、荻原賢次、池波正太郎、滝田ゆう、永井龍男・村島健一、井上靖、生江義男、山崎隆夫、虫明亜呂無、飯島小平、中村博直、吉田俊男、扇谷正道、大山康晴、中上健次、戸板康二、井伏鱒二、野口富士男、村松剛、神吉拓郎、吉行淳之介、日塔龍雄、高橋義孝




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by yomodalite | 2011-08-27 23:35 | 文学 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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