2011年 08月 24日
杉本文楽「曾根崎心中」 |
北海道で和んでいる間に、イギリスの暴動は収まったみたいだけど、日本の反原発も、米国のティーパーティーも運動参加者が望んでいるような結果を招いているのかどうかもわからないけど、ここまで菅降ろしに必死になってた人は1ヵ月先のことも見えない人のような気がする。
金融崩壊が、戦争を引き起こすというのは、何度も歴史が経験していることだけど、メディアの偏向問題がすぐに嫌韓方向に向けられたり、発足の経緯自体が洗脳目的で、大新聞社をバックにしたTV局ではなく、子分国同士でツルもうとしている(?)TV局ばかりが責められているのもうんざりだし、昨日からのヤクザ屋さん絡みの話題に関しても、同じ理由で何も言いたくない。
旅行に行くと、実際に見てみないとわからないことが一杯あるけど、日本では、海外旅行に行く人も、世界で働く人も、圧倒的に増えたけど、それで日本人が世界のことをわかったかと言えばそうでもないような気がする。
昔の本を読んでいると、旧制高校が存在した時代の方が、今より遥かに欧米人と共通する教養を身につけていたように思う。今は日本で学ばないで、海外の「空気」だけ学習してしまった人が多くて、そういう空気を学ぶことが「日本的」だと気がつかずに「世界」にかぶれている人が多いのかも。。。
情報が多くて「本質」を見失うという事態は、巨大メディアでも、ネット社会でも、なかなか克服できないし、賢くなることってホント難しいね。
「恋」だって、自分が経験しただけじゃ... という話の前フリが思わず長くなってしまったんですが、、もう10日ほど前の敗戦記念日に横浜で観た「杉本文楽・曾根崎心中」のことなど。
わたしは「文楽」を観るのは、これが4回目という素人なんですが、「曾根崎心中」は、毎回不満で一杯でした。近松も、心中も、人形も、生きているのに、伝統という言葉でごまかした舞台だけが「死んでいる」という感じで。。。
なぜ「人形」なのかも、なぜ恋の結末が「心中」なのかも若い頃はわからなかったけど、今は「曾根崎心中」は「人形」でしかありえないと思いますし、恋の結末が「心中」だからこそ、芝居芸術が成立つんだと思うんですが、どうも、伝統の方は「恋」の狂気も、近松の「革新」とも関係ないとしか思えなかったので、
この公演は、今年一番の興奮を味わえるんじゃないかとすごく期待してました。
で、始まってすぐに、勘十郎の一人遣いが、影像で映し出されると「これ、これが観たかったーーー!」という感じだったのですが、
鶴澤清治さんの三味線も、道行きの演出も、照明も、これまでのものよりは遥かに良いんですが、杉本氏なら、もっと画期的な演出も、スクリーンの使用も出来たんじゃないかと。。
◎文楽 『曾根崎心中』を手がける現代美術作家、杉本博司さんインタビュー〈後編〉
どうして、あの素晴らしい人形の動きが見えるように、本家の方も含めて未だにスクリーンを上手く使えないのかなぁ。1階のS席で観ましたが、その席でも、ずっとオペラグラスで観ないといけないし、そこに疑問をもたないことが信じられない。。
わたしは、人形使いの人たちを中心とした舞台がもっと観たいですね。
人形の表情や、所作がよく見えない席も多いので、これがTV放送されたら、高額チケットを買って会場で観た人よりも、感動できたりして。。
とりあえず、この舞台や制作の過程は、10月16日のETV特集「杉本文楽(仮)」で観られるようです。
◎togetter「杉本文楽・曾根崎心中、行った! 観た!」
by yomodalite
| 2011-08-24 18:21
| 芸術・文化・音楽
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