追悼〈上〉/山口瞳(著)中野朗(編)

追悼〈上〉

山口 瞳/論創社



どうして、そんなことになってしまったのか、未だによくわからないのだけど、2009年の6月25日から、ずっと追悼のときを過ごしているような気がする。

家族や、知人ではなく、それほど熱心なファンでもなかった有名人の死が、どうしてこれほど長く心に突き刺さっているのか、自分でも不思議でならない。

49人の作家の追悼文をまとめた嵐山光三郎の労作に『追悼の達人』という名著があって、それを読んだとき、作家というのは亡くなった瞬間に、作品の価値が変化することもあれば、その死によって、作品が完成するということもあるんだなぁと漠然と思った。

また、いずれも自死した川端康成と三島由紀夫が、ふたりとも追悼文の名手だったことと、長生きした谷崎潤一郎の死が文壇に無視されたことが記憶に遺っていて、

松岡正剛がめちゃくちゃ弱いと告白したり、立川談志が日本一の喜劇役者と評した、森繁久彌というひとのことも、わたしはあまり知らないのだけど、弔辞の達人といったイメージがあって、森繁久彌が亡くなったとき、森繁には、森繁のように弔辞を読んでくれるような人も、その作品を正確に振り返ることが出来る同時代の戦友もいないのではないかと思えて、長生きが、なんだか気の毒に思えた。

今年の夏は、まったく想像もしていなかったひとが、2人も居なくなってしまった。特に松田選手のように若いひとが亡くなるのは、本当に耐えられないことだし、わたしは彼のことを思うと、マリノスのフロントのことも、サッカー協会のこともどうしても許せなくなってしまう。

でも、あのひとが亡くなったということを聞いたときは、哀しみや、怒りよりも、とにかく「しまった!」と思った。

それは、最後のコンサートが見られなかったからではない。今、過去に戻れるとしても、たぶん、あのコンサートのチケットは買わないと思う。わたしは彼のライブをVDで観るたびに、自分が倒れて運ばれて行く姿がリアルに感じられて、その場に行きたいと思ったことはなかった。

彼と同い年のクイーンの言葉は、わたしの気持ちを代弁してくれてはいたけど、わたしの気持ちを代弁してくれただけでは納得がいかなかった。わたしの気持ちなんかどうでもいいし、彼女はめったにないレベルの成功を収めたスターだけど、それ以上でも以下でもない。

わたしは、本当に稀な天才に対して、自分がこれまであまりにも冷静だったことが悔しくて「しまった!」と思ったのだと思う。

そして、本当にもう二度と会うことがない天才だったと、一瞬にしてわたしに気づかせたのは、彼の死が、彼の作品のように「完璧」だったからだと思う。

それは、あの瞬間に思ったわけではないのだけど、どんな疑惑があっても、彼が誰かに殺されたり、命を奪われたと思ったことはなくて、あの映画のあとは、もっとそう思うようになった。

『追悼』には、山口瞳が80人に捧げた追悼文が掲載されているのだけど(上巻には31人)、それらは今、誰かが亡くなったときに書かれているような「追悼コメント」とは全然違っていて、先に逝った者に対し、山口瞳が血を流し、命を削って書いたと感じるものばかりで、山口氏の魂を感じずにはいられなかった。

山口瞳氏の本をこれまで1冊も読んだことがなく、1995年に亡くなられたという記憶もないのだけど、氏は直木賞作家としてより、週刊誌の売上げを担うような、時代に密着して活躍された方ではないかと思う。そういう人の小説ではない本が、没後15年経って出版されるということは、きっと、その時代の読者に愛されて、読者の人生にも深く影響を与えていた人だったのだ、ということが、これを読むとよくわかる。

この本の中には、わたしがまったく知らない方も多くて、知っている方の、三島由紀夫、川端康成、向田邦子を真っ先に読んだ。三島由紀夫は33ページ、川端康成は35ページ、晩年もっとも近くにいたと言われる向田邦子は66ページ。

実際のページ数からは想像出来ないぐらい内容が濃く、それぞれ1冊の本を読んだぐらいの重みがあって、作品でしか知らなかったひとの素顔が立体的に浮かび上がってきて、息苦しくなるようなことが、これまでに全く知らなかった人も含めて度々あった。

息苦しく感じることが多かったのは、作家が編集者に殺されているような状況が感じられたからかもしれない。以前、橋本治が外国人に自分の作品の発行部数を言ったら、海外ではそれで一生食うことに困らないと言われたというようなエピソードを読んだときに思ったのだけど、日本の作家は、驚くほど多作で、優秀な作家が常に現われては、すぐに歴史から消えてしまうような気がする。

川端康成は言わずと知れたノーベル賞作家。でも受賞したのが三島でなかったことに、川端が負い目を感じるほど、三島も世界的な作家で、そういった作家が、出版社の依頼で、何度も追悼文を書いているというのは、日本的なのではないだろうか。

アメリカには、そういった文化があるのかどうかわからないけど、大江健三郎と、村上春樹が、何度も追悼文を書いている印象はなくて、なんとなく、狭い国の「文壇」と言われるような文学者の村社会が「追悼文」の文化を育んでいたような気がする。

その社会は、作家にとっても、文学にとっても、息苦しい部分もいっぱいあったような気もするのだけど、山口瞳のおかげで、その時代が遺されて、まったく知らなかった人ですら、出逢えたような気がする。

人には必ず「光と影がある」。

そのこと自体は間違いがないのだけど、光も影も類型的なストーリーばかりが巷に溢れ、それは「死」そのものよりも哀しいことのような気がする。


アメリカにも山口瞳がいて、「あのひと」の追悼文を書いてくれていたらと思った。

山口瞳が生きていた時代に、亡くなったひとは、幸せだと思う。

山口瞳が亡くなったとき、どのように追悼されたのかは知らないのだけど、亡くなってから15年を経て出版されたこの本は、とても素敵な「追悼」になっていると思う。

☆☆☆☆☆(満点)下巻も読まなくちゃ。。

☆『追悼』〈下〉へ

メモ:『山口瞳さんを偲ぶ会』は3回行われ、丸谷才一の『挨拶はたいへんだ』『あいさつは一仕事』に3つの会の冒頭に行われた丸谷氏の挨拶が収録されている。

◎『追悼』〈上〉(アマゾン)

______________

〈上巻〉川島雄三、三枝博音、梅崎春生、高見順、佐佐木茂索、山本周五郎、吉野秀雄、木山捷平、山田道美、三島由紀夫、徳川夢声、川端康成、古今亭志ん生、黒尾重明、梶山季之、きだ・みのる、檀一雄、武田泰淳、吉田健一、今東光、花森安治、平野謙、中野重治、五味康祐、野呂邦暢、梅田晴夫、フーショートン、樫原雅春、向田邦子、田辺茂一、関邦子


[BOOKデータベース]褒めるだけでは本当の追悼にならない。川端康成の死を哀惜し、山本周五郎の死に涙し、三島由紀夫の死に疑問を投げ、梶山季之の死を無念がり、向田邦子の死に言葉を失う。山口瞳が80人に捧げた追悼文を一挙集成。論創社 (2010/11)


[著者略歴 「BOOK著者紹介情報」より]山口 瞳/1926年、東京生まれ。麻布中学を卒業、第一早稲田高等学院に入学するも自然退学。終戦後は複数の出版社に勤務し、その間に國學院大學を卒業する。58年、寿屋(現サントリー)に「洋酒天国」の編集者として中途入社。62年に『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞を受賞、79年には『血族』で菊池寛賞を受賞する。95年8月、肺がんのため逝去

中野 朗/1951年、小田原生まれ。札幌東高校、明治大学政経学部を卒業。2001年、「山口瞳の会」主宰「山口瞳通信」(年刊)を七号まで、「山口瞳の会通信」を年数回発信するも、現在休会中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)





[PR]
トラックバックURL : http://nikkidoku.exblog.jp/tb/16423053
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
名前
URL
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by yomodalite | 2011-08-16 08:52 | 文学 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite