ウィキリークス アサンジの戦争(1)/デヴィッド・リー、ルーク・ハーディング (著)

ウィキリークス WikiLeaks アサンジの戦争

『ガーディアン』特命取材チーム,デヴィッド・リー,ルーク・ハーディング/講談社



ウィキリークス本、2冊目。

こちらは 上杉本と違って「今そこにある危機」の渦中にある日本人にとっては海外のことって感じかもしれませんが、

スピルバーグが映画化の権利を買ったと言われているウィキリークス本の1冊なので(もう1冊はアサンジから離反した元同僚による「Inside WikiLeaks」)スリリングな展開が、小説のような感じで楽しめます。

もっとも、お住まいの地域によっては、もうスリルは懲り懲りという方もいるかもしれません。(ちなみに、これを書いている途中も何度か揺れて、こちら東京でもかなりドキドキしました)

ただ、内田樹先生もこう言っておられますので、

levinassien 内田樹
花を見ながら耳を澄ます人もいるし、音楽を聴きながら耳を澄ます人もいるし、読書しながら耳を澄ます人もいるし、自動車を運転しながら耳を澄ます人もいる。それぞれがそれぞれの仕方でもう聞こえない死者の声をそれでも聞き届けようとしてます。そのパーソナルな選択に僕は敬意を払いたいと思います。(2011.3.30)

とりあえず「読書」を続けることにします。

「ガーディアン」は、ウィキリークスに最も早く接触し、その情報公開の伴奏者となってきたイギリスの名門新聞。本書はその記者チームによる著作で、ウィキリークスと大手メディアとの間で情報をシェアし、一定の日に同時に各メディアが報道を開始するというパターンを作ったのは、ガーディアンの記者によるものらしい。

今、自国のメディアの不甲斐なさを感じる人は多く、海外メディアの原発記事に目を通している人は多いでしょう。でも、世界でも優秀なはずの英国メディアが、イラクで民間人が殺害されていることにショックを受けるというのは、これは日本で言うところの「タテマエ」なんでしょうか?

どんなに、崇高な目的を掲げたって、そもそも、民間人が殺されていない「戦争」なんて一回でもあるんでしょうか?日本だって、原爆よりも、東京大空襲の方が、大勢亡くなっているようなんですが....

本書を読んで思ったのは、自分に直接関係ないことほど「真実」は見えやすいということでしょうか。

菅直人首相よりは立派に見える指導者がいて、優秀なメディアがあっても、戦争で人の命を奪ったり、奪われたりすることから逃れられない。わたしなら、兵隊になるよりは、原発で働いて、ガンになる確率が高くなる方を選ぶけど、頻繁に戦争に行かされている国民は、そうではないという「洗脳」を生まれたときから受けているんでしょう。(原発賛成ってわけではないですよ)

そんなわけで、

おそらく急増しているに違いない「将来は自衛隊」ですが、本書を読めば「将来はハッカー」とか、純理案、寿里安、亜賛侍、なんて名前も増えたりするかもしれない「内容」は下記の通り。

1. 秘密の館 ー イギリス ノーフォーク州 エリンガム・ホール 2010年11月
「アサンジには超笑ったよ」ジェームズ・ボール(ウィキリークス)

ロンドンの夜の薄暗がりに現れたその姿は、まるで老女のようだった。アサンジは尾行を心配するあまり、女装したのだ。その頃、ウィキリークスは、バグダッドで米軍のヘリコプターがロイターの社員2人を含む民間人12名をビデオゲームのように射殺する動画の公開やアフガン戦争に関する米国の機密文書を「ガーディアン」紙との前例のない契約・協力によって公表し、短期間のうちに広く知られる存在になっていた。アサンジとその仲間は、ロンドン西部にある外国人特派員やメディア関係者の溜まり場である「フロントライン・クラブ」からエリンガムに逃げてきた....
24歳のジェームズ・ボールは、アサンジが採用したデータアナリストで月給をもらって働いている。

2. 技術兵の「正義」 ー イラク 米軍ハンマー前線作戦基地 2009年11月
「電話なんて家に置いてくればよかった」レディー・ガガ(「テレフォン」)

夏の酷暑を過ぎた11月のイラクは温暖だ。だが、米軍ハンマー基地に駐留する者たちにしてみれば、何月だろうと外の空気はまとわりつくように重かった。技術兵のブラッドリー・マニングもそこにいた。マニングは情報分析官として1日中、基地内のコンピュータールームで最高機密情報を読み続ける。ところがマニングは、基地着任の初日からセキュリティの甘さに戸惑っていた。
数ヶ月後、マニングは基地を覆い尽くす米軍の“文化”を痛烈に批判するようになる。のちに事件が発覚した際、階級の低い軍人がこれほど膨大な極秘資料に無制限にアクセス出来たという事実に人々は驚いた。

3. ジュリアン・アサンジ ー オーストラリア メルボルン 2006年12月
「素顔で語れば、人はもっとも本音から遠ざかる。仮面を与えれば、信実を語るだろう」オスカー・ワイルド(19世紀イギリスの詩人・作家)

出会い系サイト「OKキューピッド」のプロフィールによると“ハリー・ハリソン”は35歳、男性、身長6フィート2インチ(約188㎝)自己紹介は次の通り。

警告:堅実な普通の男を探してるって? だったら他を探してくれ。俺は君が求めているようなロボット人間じゃない。最初から互いの時間を無駄にするのは止めておこう。
当方、情熱的で頑固なインテリの活動家。情事と子どものため、時には犯罪の陰謀のために美女を求めている。快活で遊び心があって、学歴とは関係なしに知性が高い女性、さらに勇気があり、上品で、内面の強さがあり、世界や自分が愛する人々のことを戦略的に考えられる女性を希望。
政治的混乱に耐えている国の女性に惹かれる。西洋文化は無価値で空虚な女性を作り出しているようだ。あ、そうだね。女性だけに言えることじゃないね!
俺はとても知的で、肉体的にはケンカっぱやいけど、女性と子どもはちゃんと守るよ。
俺は危険だ、気をつけろ、そうすれば??????????!

さらにプロフィールには「自信がないなら返事はよこすな。俺は忙しい。勇気がある者だけ連絡をくれ」という警告までついている。もう、おわかりだろう。ハリー・ハリソンは偽名で本名はジュリアン・アサンジである。
1971年7月3日、アサンジはオーストラリア北部で生まれ、母親の父は学者で大学の学長まで務めた人物。母クリスティーンは17歳のと家出しカウンターカルチャーに浸り、ベトナム反戦デモで出会った若者と恋に落ちたが、関係はすぐに終わった。その若者がアサンジの父親だった....

4. ウィキリークスの誕生 ー ドイツ ベルリン「カオス・コンピューター・クラブ」年次総会 2007年12月
「権力者の情報を公開しながら、捕まらないようにするにはどうすればいいのか」ベン・ローリー(暗号化のエキスパート)

ヨーロッパ中のハッカーが集う「第24回カオス・コミュニケーション年次総会」で、ダニエル・ドムシャイトベルク(ダニエル・シュミット)はアサンジと出会い、ウィキリークスの技術システムの基本設計に専念することになる。ダニエルとアサンジは3年後に苦い結末を迎えることになるが、当時は地球の至る所にウィキリークスのサーバが設置出来る安全な場所を整えたいという希望で一致し、スウェーデンにサーバが、情報漏洩の聖地と化した。(ただし、アサンジは後にスウェーデン人の“マナーとモラル”を侵したとして逮捕される)

5. 「アパッチ」のビデオ ー ノルウェー トンスベルグ クオリティ・ホテル 2010年3月21日
「子どもを戦闘に巻き込んだのは彼らの責任だ」米軍ヘリコプターパイロット

SKUP(ノルウェー調査報道財団)結成20周年を記念する総会のパーティーに数百人ものノルウェー人記者が集まり、国外からもジャーナリストが招かれていた。
「素敵な服と素敵なユーモアをお持ちください」と招待状には書かれていたが、ジュリアン・アサンジは首までファスナーを上げた茶色の革ジャケットといういつもの格好だった。「いいものを見たくないか?」アサンジは彼と同じくスピーチを行う予定だった「ガーディアン」記者のデヴィッド・リーに話しかけた。細身の身体と長い銀髪のアサンジは、その少年のような微笑みで、すでに傍らにいる女性たちを魅了しかけていたが、この誘い文句はリーの心も惹き付けた。リーのホテルの部屋で、ドアをロックし、チェーンもかけた後、小型のネットブックを取出し、しばらくして画面にはモノクロームの映像が流れ始めた。
空中から撮影されたこの影像は、世界中のユーチューブで繰り返し再生されることになる。米軍武装ヘリの機関砲の乾いた連続音ー負傷者をワゴン車に乗せようとしている運転手が映るが、その車も激しい攻撃を受けた。車内に子どもたちがいるにもかかわらず。。無線通信で「子どもが負傷した」と告げられると、ヘリのパイロットは弁解するようにこう答えた「子どもを戦闘に巻き込んだのは、連れてきたヤツらの責任だからな」ネットブックで再生された39分ほどの「殺戮」ビデオを見た瞬間、リーは驚愕した。こんな影像は見たことがなかったからだ。

6. ラモとの対話 ー イラク 米軍ハンマー前線作戦基地
「こんなことを君に話しているなんて信じられないよ」Bradass87

ブラッドリー・マニングはアサンジが米軍アパッチ・ヘリの動画を公開してから数週間が経過し、ネット上のチャットでは、不安のあまりに「心が3回ほどおかしくなった」と打ち明け「必死に自分を癒そうとしている」と打込んだ。アメリカ人のハッカーのラモは「ニューヨーク・タイムズ」を始めとする、ありとあらゆる企業のコンピューターに潜入した罪で、2年間の執行猶予を受けた過去を持つ。ネットを通じてラモに心情を吐露し始める何日か前に、彼は技術兵から上等兵に降格されていた。
結局、ラモの告発によりマニングは逮捕され、クウェートの米軍基地の軍刑務所に収容された。マニングの友人たちは彼が拷問に近い状態に置かれ続けているという。最近、読書が許されるようになったマニングが2010年の終わりにリクエストした本ーそれは、カントの『純粋理性批判』だった。

7. 取引 ー ベルギー ブリュッセル レオポルド・ホテル 2010年6月21日午後9時30分
「地球上で最大のデカいネタだと思った」ニック・デイヴィス(「ガーディアン」記者)

「ジュリアンが小型のラップトップを出した。すぐに開いて、キーを叩いて何かを打込む。それからナプキンを持ってこう言ったんだ。『オーケー。これで君たちの物だ』。『何が?』と訊くと、ジュリアンはこともなげに答えた。『ファイル全部。パスワードはこのナプキンだ』って」
アサンジはナプキンに印刷されていたホテルの文字やロゴを丸で囲みながら「ノースペース」(スペースなし)と書き加えた。これがパスワードだ。そして隅に3つのアルファベットを書く。GPG。これはアサンジが一時的に使用するウェブサイトに用いる暗号化ソフトである。暗号めいたナプキンは、まるでジョン・ル・カレの推理小説を思わせ、演出効果抜群だった。

8. 作戦会議室 ー ロンドン キングス・プレイス「ガーディアン」本社 2010年7月
「キャンディ・ショップにいる子どもみたいな気分だった」デクラン・ウォルシュ(「ガーディアン」パキスタン特派員)

ニック・デイヴィスは秘密の厳守に固執するあまり、当初は副編集長のイアン・カッツにさえ、プロジェクトの件を話すことを拒んだくらいだった。ところが、自分が最高機密のプロジェクトに関わっているという噂があっという間に広まっていることがわかって、大いに慌てることになる。新聞社というのは、長く何かを隠しておくには不向きな場所なのである。
デヴィッド・リーが不平を漏らす。「巨大なデータの山から小さな砂金を探すようなものだよ。ネタがあるかどうかなんて、どうしてわかる?」
「インターネットがジャーナリズムを食いつぶすと言われることがあるが、ウィキリークスの記事は“両者の融合”だった。伝統的なジャーナリズムの技とテクノロジーの力、その両方を使って、驚くべき記事を世に送り出す。将来、データジャーナリズムは目新しい驚くべきものではなくなるかもしれないが、今のところは革命的だ。世界は変わった。変えたのはデータだ」
「死傷者数」の統計が初めて手に入るのも、また注目すべき点だった。米軍は少なくともこれまで、民間人や「敵」に関しては「死者数を把握していない」と虚偽の主張を繰り返していたが、その記録が記者たちの目の前にあった。

ウィキリークス アサンジの戦争(2)につづく



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by yomodalite | 2011-03-31 14:54 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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