スリラー/ネルソン・ジョージ (著)、五十嵐正 (翻訳) 《3》

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スリラー/ネルソン・ジョージ (著)、五十嵐正 (翻訳) 《2》のつづき

唐突なんですが、なんだか「黒い音」が続いたので、気分を替えておフレンチなのを...
デヴィッド・リンチのお気に入り“Au Revoir Simone” 

◎Au Revoir Simone-The Lucky One
◎Au Revoir Simone - Another Likely Story
◎Au Revoir Simone "Sad Song"  
◎Au Revoir Simone - Fallen Snow


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▲1986年『Captain EO』



リンチとMJの繋がりと言えば「デンジャラス」ティーザーですけど、わたしは、“アメリカ文化・最後のひと” 繋がりを感じています。このふたりには、わたしがまだ完全にこどもだった頃の「アメリカ人」を感じるんです。シャツの一番上のボタンまで、きっちり止めるところとか.....

でも、リンチとMJについて、考えだすと収拾がつかなくなるので.....

本書の話題に戻りますが、



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▲1986年『Captain EO』



この本には、現在、 アマゾン評のレヴューに☆1つ評価が一件あるのみなんですが、通常こういった極端に低い評価を見ると、わたしの場合、つい庇いたくなることが多いんですけど、今回はそういう気持ちにはなれませんでした。このレヴュアーの方が「出直してこい」と言われている心情には、完全同意したいという気持ちです。

それでも、かなり頑張って、本書を面白く読めるひとを想像してみると、ラーメンばかり食べ歩くことで「美味しいラーメン屋」が発見できると思うタイプの人には、ためになる部分もあると思います。(あと、新聞やTVの報道番組が好きな人も♡)

ちなみに、わたしは「ラーメン評論家」が、ラーメンばかり食べていることを語っているのを聞くと「吐きそう」になるタイプなので、それで「黒人音楽評論家」と意見が合わないことが多いのかなって気がしてます。



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▲1984年“Celebration for Thriller”




特に「黒人音楽評論家」がMJを語る場合は、極上のレストランに初めて来たにもかかわらず、気取らないサーヴィスと、馴染み客のような対応を期待し、フルコースに、旨いラーメンじゃないって「いちゃもん」つけてるような、検討ちがいの「クレーム」を感じることが、今までにも何度もあったので、本書にも、最初から、そういったマイナスの先入観がなかったとは言えません(ラーメンよりフルコースが上って意味じゃないですからね)

ただ、音楽評論家に「マイケル・ジャクソン」を語ることが無理だということは、もう重々わかっていましたけど、一応、その中ではレベルが高いという人なら、せめて『スリラー』のことぐらいは、書けるんじゃないかという「期待」はしてたんですね。



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▲1978年“The Wiz ”Opening



ところが、そんな低いレベルの期待にすら届いていない....というのが、一読しての感想でした。でも、その評価のかなりの部分は、わたしが、これを日本語で読んでしまったからかもしれません。もしかしたら、著者は、もっと格調高く愛情溢れる感じの文章で書いているのかもしれないんですけど、日本語の方は、まるで「自動翻訳機」のような文章で読みにくく、著者の主旨が今イチ伝わらない点も考慮しなければと思い直したり、

消費者として買ったものに対して、多少でも満足したいという“意地汚い”根性も手伝い、ひょっとして「音」と一緒に読むことで、少しは資料的価値があるのかも...というのが、ここまでのメモの動機のひとつだったんですが (* ̄∇ ̄*)

もうひとつは、この著者のようなタイプと、こういった評論形式を、うっかり学んでしまう(笑)タイプの人には「肌の漂白」などの事実誤認を何度指摘したところでわからないし、あっさりと☆ひとつ評価で貶すぐらいでは「許せない」って気がしてきちゃったんですよね。この著者に対してではなく、自分に。。。



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《お詫び》ここまで「黒人音楽評論家」という表現を何度もしましたけど、極一部の素晴らしいひとに、たいへん失礼だったことを、謹んでお詫びいたします。

著者が、歴史的アルバムの一曲一曲に、根拠に乏しい個人的感想のみで評価を下していたり、「音楽評論と回顧録...」とか言っていたので、音楽評論家の方かと思ったんですが、「音楽」を評論するための「知識」もあまり感じられませんし「愛」や「尊敬」はもっと感じられません。

自分の思い出が「歴史」だと思っていたり、調べないで書くことが常態化している様子や自分の取材に応えない態度が“傲慢”だと勘違いしているような「傲慢」さなど、音楽評論家のひととは、もうまったく比べ物にならないほど、世の中に害悪を垂れ流しているひとの割合が高い新聞とか雑誌記者(元含む)の人が書く文章とよく似ていると思いました。

それで、プロフィールを確認して見たら「音楽評論家」なのは、翻訳家の方のほうで(黒人音楽ではない模様)、著者は音楽関係の著作や、監督、脚本とあるので、飯の種になっているのは、むしろ「黒人」の方なのかもしれません。



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▲1983年、Todd Gray Photo



たぶん、読者として「出直して来い!」って言いたくなるのは「第3部」の内容に集中しているのではないかと思います。

「イントロダクション」では、ジャクソン5が引き起した熱狂を「何かが始まった」とし、2011年にあらためて語られるべき「スリラー」の功績が綴られるかと思いきや、資料は、ほこりを被った自分の昔の記事と当時の資料ばかり....

伝説的アルバムの一曲一曲に対し自分の感想を書き連ねる際も、スライをポップアーティストとして省いたり(?)、黒人ロックを語るのにレニー・クラヴィッツを無視するなど、MJ本としても黒人音楽史としてもありえない修正主義的(!)な内容や



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すでに他の本で語られている情報を使い回し、クインシーと知りあいという利点も、よくある、MJ<クインシー図式に乗っ取ったへつらいに、ほんの少しだけ、彼のエロ親父ぶりを描写するにとどまっていた《第2部》から、ようやく“THIS IS IT”衝撃後の「スリラー」とMJが語られるかと思ったら、若き日にベストセラーになった自著をあまり取材していなかったと反省しているような記述があるにも関わらず、

それぞれ友人だって言っていた、

スパイク・リーのMJリスペクトからは、100万倍以上かけ離れた理解度や、その魅力を讃えていたはずのクインシーから面白い本の書き方も見習わず(『クインシー・ジョーンズ自叙伝』)、親友(?)のジョン・マクレーンに新アルバムのことを取材しないなどの気の利かなさに呆れるだけでなく、


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▲1984年 Lynn Goldsmith Photo



スリラー期のMJの頬の赤みを「ほお紅のつけ過ぎ」だの、ヴィクトリーツアーの高額チケットは彼の名前に汚点を残したなど、MJがこのときの自分のギャラを全額寄付(ツアー開始前に公式発表)したことも知らない(!?)というお粗末さ。

その後、人生最初にして最後の取材(笑)だったかもしれない『ヴィレッジ・ボイス』誌の記事(「何故エドマンド・ペリーは死んだのか」)によって、『BAD』が創られたという“自慢”に辟易とさせられたのもつかの間、追撃ちをかけるように、次の記述が.....




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(引用開始)彼の死後、アフリカ系アメリカ人社会は、彼の思い出を守るべく陣営を固めてしまったが、80年代後半にはマイケルの肌の濃淡の変化は説教壇から床屋までで批判の矢面に立たされる話題だった。マイケルは後にそれらの変化は肌の病気の白班のひどい症例を埋め合わせるためだと主張した。だが、彼の顔の改造は根本的に作り直した鼻をはじめ、その病気の引き起すものを超えている。

(MJの死後のクインシー・ジョーンズのインタヴューより)「ああ、俺たちはいつだってそれについて話していたよ。でも、彼は、“ねえ、断言するよ。僕は病気なんだ”とかびっくりするようなことを言ってくるんだ。“胸に水ぶくれがあるんだよ”とか、そういった戯言のあれこれをね。むずかしいね。だってマイケルは乙女座だからさ。自分のやり方ですごく固まってしまっている。彼を説得してやめさせるなんてできないよ。ケミカル・ピールとかああいったことをね」さらにクインシーはとても悲しそうに、マイケルが自分の黒人性に問題を抱えていると示唆した(引用終了)




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最初に、“事実誤認を何度指摘したところでわからない”と言ったのは、この記述のような著者の捉え方によるものなんですが、わたしは、MJのように、白人より真っ白な肌にまで「漂白」することが可能とは思いませんが、でも彼が、それが病気であることを相当あとになるまで公表しなかったことと、もし実際に漂白可能だったら、彼は実行していた可能性も高いことを考えると、この件に関して、病気によるものか、そうでないかはあまり問題にしたくありません。


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▲1984年(?)Todd Gray Photo


♪ちょっと休憩(^^*ゞ ♫

そういえば、本書の第2部には、ポール・マッカートニーとスティービー・ワンダーの《エボニー&アイボリー》のことを、ワンダーとマッカートニーはこのうえもなく偉大なアーティストだが、両者とも感傷的で気の利かないイメージとかわいさをねらったメロディーに取組むと本当に甘党で.....《エボニー&アイボリー》は、そこが欠点だった(中略)人種の調和の訴えは申し分ない。それでもなお、この曲の最後の部分には深刻な主題を平凡化してしまう許しがたい無遠慮な何かがある。

って書かれてるんですが、そこは、ちょっぴり共感したかも....(それでも「Black Or White」に触れられないんだなぁ、この著者は....本当に“Dangerous”って危険なアルバムだったってことが、今の方がよくわかります)

そんなわけで“人類の調和”「Hold My Hand」完成記念、Akon♡特集!!!
◎Angel - Akon(Lyrics)
◎Angel - Akon(downlord-link)
◎Wanna Be Startin' Somethin' 2008 - MJ with Akon  

☆MJの旅立ちを契機に、エロキャラ脱却を謀るR.Kellyの隙をついて
“エロキング”の称号を射程に入れてきたAkonの共演曲

◎I Just Had Sex - Lonely Island feat. Akon
◎I Just Had Sex - Lonely Island feat. Akon (LYRICS)


エイコンは、両手を拡げたポーズと、笑顔が組合わさると(“I Just Had Sex”参照)『ロック・ウィズ・ユー』のときのMJに似てない?どんなにエロくても“神のご加護”がある感じも...

さて、休憩終了。下記は、休憩前の文章に続きます * ̄∇ ̄* )



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▲1984年のMJとマドンナ



MJの肌が白くなったことが、人為的な「漂白」によるものか、本人の意思にまったく関係ない「病気」によるものか、わたしは、そのどちらであっても、MJの偉業にまったく関係ないと思いますが、

それは、著者のいう「自分の黒人性」に問題を抱えているか、いないかではなくて「黒人性」という問題の立て方そのものに疑問を感じるからです。

そもそも、アメリカに住む黒人すべてを「アフリカ系アメリカ人」と呼ぼうとするのも、すごく不思議なことだと思う。白人より「黒い」という、肌の濃淡からは「アフリカ」からだけではない、様々な“ルーツ”があり、その中で「アフリカ」が関わっているのが100%の人もいれば、ごくわずかの人もいる。

両親のどちらかにアフリカ系のルーツが何割かある場合、必ず「黒人」や「アフリカ系」とされるルールは、それ自体が矛盾を孕んでいて、

国でもなく、統一言語もなく、文化も様々な「アフリカ」をアメリカでの「帰属」として考え、身体的特徴まで、その「イメージ」どおりにというルールは、自分は何者か?という問いを真剣に考える人間には共感できない「掟」であったり、自分の可能性に枠をはめることだと思う人もいるでしょう。マイケルにとっては、まさしくそうだったと思う。

彼はアフリカ文化もアメリカの黒人文化もよく学んでいるけど「黒人」らしくとか「アフリカン」など、そのイメージの限界に、自分が当てはめられるのは、イヤだったんだと思う。



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▲1984年、Hemsley Palaceを離れるところ


また、この著者のように「黒人の誇り」を前面に出しつつ、世界中の多様な人々に尊敬されているひとを、自分のイメージと違うというだけで攻撃しようとする人もいる。彼らが標的にしたり、無視しようとするのが、いつも人種の越境者たちであることを思うと、こういった人々こそ、真の「人種差別主義者」であり「差別」をネタに利益を受けるために人種差別を無くさないよう目を光らせている「差別温存主義者」なんじゃないかと疑う。彼らのような人が、MJの真摯なメッセージを受けとめたくないために『バッド』や『デンジャラス』を無視したり、貶してきたんだと思う。

MJが言っているように「人種」じゃなくて「メンツ」の問題なのだ。


肌の色が同じだということが仲間意識に繋がることはあるけど、人が、音楽に魅せられるときに、肌の色が黒いか白いかを気にする人がいるだろうか。

エルヴィスが、現在とは比べ物にならないほど、人種が隔離されていた時代に、黒人音楽に魅せられたのも、その音楽にどうしようもなく魅せられたのであって、肌の色には関係ない。大勢の人が「混血」になったのも、人が人に魅せられることに、肌の色が関係ないことの証拠だし、クインシーが、白人と結婚することと、マイケルが白人を取入れようとしたことに、いったい、どれだけの違いがあるというのだろう。

マイケルは「黒人性に問題」を抱えていたのではなく、黒人でも白人でも関係ないという強い信念があっただけだ。肌の色の変化に関して「事実」がどうであれ、彼の信念は、黒いときも白いときもまったく変ってなんかいない。

でも、この著者は、元々そんなことには、何の興味もなく、そもそもマイケル・ジャクソンに「疑問」も「興味」も持っていない。

彼が「漂白した」としつこく言い募り、少年への性的疑惑の真相を探ろうとしないのは、

「マイケル・ジャクソンの人生にはとても多くの疑問を提示する」という“パターン”で、何度でも楽に商売ができるから!

スリラー/ネルソン・ジョージ (著)、五十嵐正 (翻訳) 《4》につづく 


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Commented by yukari_0124 at 2011-01-05 20:36
こんばんは☆

写真が素敵すぎて・・・♡♡
一枚目のは王子様みたいだし、キャプテンEOの二枚は初めてみました‼
特に2枚目のがかっこいい~~~です☆
スリラーのお祝いのは、目がバンビちゃん、超かわいいです♪
保存させもらってもいいですか??

すみません、エキサイトしてしまいました・・・(汗)
文章もちゃんと読んでいますので♡
Commented by yomodalite at 2011-01-05 21:30
>保存させもらってもいいですか??

もっちろんOK!!! ていうか“わたしのもの”じゃないし...(残念♡)
それと読まなくてもいいよ。わたしも、今後このブログでは、あんまりアップすることなさそうな“スリラー期”の写真アップする「ネタ」として「グダグダ」言ってる気がするし.....(笑)

MJのステキな姿が拡散されるのが一番ウレシイです!!!

あと写真は、クリックすると、より大きく取り込める可能性あり♡(特に横長の)
《1》と《2》にも写真追加しました!
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by yomodalite | 2011-01-05 13:12 | ☆マイケルジャクソン書籍 | Trackback | Comments(2)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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