スリラー/ネルソン・ジョージ (著)、五十嵐正 (翻訳) 《2》

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スリラー/ネルソン・ジョージ (著)、五十嵐正 (翻訳) 《1》のつづき


さっき行って来た近所の神社でお願いするの忘れちゃったけど、
石川さゆりには、この先50年とか、もう永遠に紅白で『天城越え』を歌って欲しい。。

さて、


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以下、抜粋してある文章はすべて省略引用

「第一部」は、主に『スリラー』以前が語られているのですが、黒人であるネルソン・ジョージが感じた、同時代の黒人音楽と、当時のMJを対比していくという行為は「日本人」のわたしにとって、かなりの違和感を感じるものでしたが、この違和感は、わたしだけではなく、MJもそうだったのではないでしょうか。

クインシー・ジョーンズも、永年ジャンルを超えた作品で、早くから黒人枠を越えたアーティストで、彼の年代では、白人の美人妻を迎えるというのが、ステイタスでもあったわけですが、


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MJは、子供のころから、白人の女の子の熱狂を経験し、当時の映像を見ても、ジャクソン5のファン層は、むしろ白人の方が多いように見えるぐらいですし、10代の頃にテイタム・オニール、ブルック・シールズといった、国際的アイドル女優を射止めてもいます。

わたしは、彼が皮膚の色素が破壊される「病気」によってというよりは、アーティストとしての自由を「黒い枠」にはめようとする圧力の壁を越えようとする「意志の力」によって、肌の色が「変化」したんじゃないかと思うことがあります(科学的でないことを承知で言いますが....)



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1983年、エンシノの自宅にて



それは、黒人としてのルーツを大事にしていないこととは厳然と異なると思いますが、彼の生まれ育った「国」は、人種を重要視(特別視)し過ぎるという問題があり、また、その問題は日本でも、音楽評論家や、駆け出しの翻訳家のナイーブさでは複雑過ぎるために、「マイケル・ジャクソン」が理解できないという方も目立つように思います。

(MJに関しては、他のアーティストに比べ、プロデューサーの功績を高く見積もることが常態化しているのも不思議ですね。『デンジャラス』で、MJが“ニュージャックスウィング”を取入れただとか、『スリラー』の“Q”に関しても...「芸術」にも「創造」にも敬意が感じられない、嫉妬深くて、上から目線で言いたいだけの本場(笑)の評論家の意見を、ただの情報輸入屋さんが“素直”に信じてまき散らしたからなんでしょうか?)

子供時代から、肌の色の壁を越え、成人後すぐに世界一売れたレコードを作ったMJは「スリラー」の後は、もっと広い世界や宇宙にさえ目を向けていました(Captain EO...)日本のリスナーとして『スリラー』も、他の作品も、余所の国の“事情”を踏まえ、あまりに素直に学び過ぎるのはどうかと思うんですが....



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▲1984年、Grammy Awards



☆ここからが、本書のメモ(すべて省略引用)

《第2部》『スリラー』

(引用開始)...とてもよくデザインされた80年代らしいパッケージにそれを個人的な声明と思わせるに充分な彼の特異性のタッチが加えられている。このアルバムは計算された大量生産の製品であると同時に、非凡で、漫画的で、情熱的で、奇妙で、夢を見がちで、不安に満ちた個人を投影したものであり、熟練したアーティストと職人の一団がその両方を可能にした。


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『スリラー」は、82年4月から10月にかけてデジタル以前の時代の最先端のスタジオだったウェストレイク・スタジオで録音された。そのアルバムはそれ以前に出たすべての売上げを凌ぎ、その後のレコードが届くことが不可能な記録を打ち立てた。

これほど壮大な成功は振返って見てみれば、何かの始まりであるだけではなく、ある時代の終わりと見ることもできる。『スリラー』は両方だった。

『スリラー』は最後のデジタル以前(アナログ)のアルバムの1枚だった。それは主流ポップに受入れられることを求めてきた黒人アーティストたちによる奮闘の数十年間の頂点と証明された。そのアルバムは黒人音楽の成功がどこまで可能かについて非現実的な期待値を定めた。

《スタート・サムシン》

『ソウルパワー』の記憶に残る一場面は、カメルーンのサックス奏者マヌ・ディバンゴを追いかけ、彼の演奏で子供たちが踊るところだ(中略)彼の《ソウル・マコッサ》は別の曲のシングルのB面で、ニューヨークの先を見通す力のあるDJ、ディヴィッド・マンクーソがいなければ、間違いなく知られないままだったろう。



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73年までに《ソウル・マコッサ》は、小さな熱狂となり、30ほどのカヴァー・ヴァージョンが録音された一方、ディバンゴのオリジナルはポップチャートで35位までに上がった。進歩的なニューヨークのディスコからWBLS局のプレイリストに、そして世界的なヒットに至るという、こういった音楽の旅はディスコ時代にしばしば繰り返されることになる。

「ママ=セ、ママ=サ、マ=マ=クー=サ」......マイケルとバックグラウンド歌手たちの最終ヴァージョンは、よりアフリカ的なサウンドに聞こえる。

ディバンゴは《スタート・サムシン》の共作者としてのクレジットはされなかったが、ジャクソン側陣営と金銭面で和解し、リアーナは、07年のスマッシュ・ヒット《ドント・ストップ・ザ・ミュージック》で、その本案を用いた。



R&Bの世界に白人のソングライターは、ジェリー・リーバーとマイク・ストウラーのデュオが古典曲を連続して書いた50年代から存在し、77〜79年にかけて、白人のソングライターがグラミー賞の年間最優秀R&B楽曲を獲得した。
◎アース・ウィンド&ファイアの《ファンタジー》1977年

この態度こそがマイケルジャクソンが『スリラー』で応答することになるものだった。



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《今夜はビート・イット》

....ファンたちはチャック・ベリーの曲を大抵はビートルズ、ビーチボーイズ、グレイトフル・デッド他のカヴァーを通して知っていた。だが、ジミー・ヘンドリックスを除く黒人ロッカーは愛を得ることはなかった。プリンスは正真正銘のロック・ギターを基調にした曲を作ったが、最初の5枚のアルバムの間はAORににべもなくされていた。

80年代はロックラジオでヘンドリックス以外の黒人の歌声を聴くことはなく、黒人ラジオも同じくらい偏見があった。ジャクソンとクインシーは、こういったアフリカ系アメリカ人とロック・ギターの歴史に逆らって《ビート・イット》を作り上げた。

クインシーがこの曲をけしかけたのだが、彼はナックの79年のフックのあるヒット《マイ・シャローナ》に刺激されたようだ。

《ビート・イット》が、ジャクソンにとってのヒットとなったにもかかわらず、その曲は黒人ロックへの水門を開けることはなかった。しかし、『スリラー』全体、とりわけ《ビート・イット》が受入れられたことは、プリンスをポップスターとして受入れられるのを容易にしたと僕は強く信じている。


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《ビート・イット》と《パープル・レイン》以降の年月に、多くのR&Bのアーティストが大きな売上げに近づく道としてロックギターを用いた。

◎シャラマーの《デッド・ギブアウェイ》
◎キャメオの《キャンディ》
◎ジャネット・ジャクソンの《ブラック・キャット》

ロックをその音楽へのアプローチに融合させて最も成功した黒人グループは主流のずっと外側からやってきた。「ロックの王様」と自ら宣言したランDMCは、黒人のストリートの若者たちと郊外のロック・ファンの両方に信用されるラップレコードを作った。《ウォーク・ディス・ウェイ》でのランDMCと、エアロスミスの共演は《ビート・イット》の息子であり、同じくらいに文化的影響力を持った。

◎Walk This Way - RUN-DMC(1986年)

ランDMCから、パブリック・エネミーのサンプルの壁が登場し、やがて、扇動的な(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)から面白みのない(リンプ・ビズキット)までのバンドによるラップ・ロックというジャンル全体の誕生を引き起こしたのだ。


それでもなお、プリンス&ザ・レボリューションを除くと、実際に「ロックの殿堂入り」をした黒人バンドはいなかった。最も近かったのはリヴィング・カラーで、彼らはブラック・ロック・コーリションの旗艦バンドだった。


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《ビート・イット》の永続する魅力のひとつの例は21世紀のポップロックバンドのフォール・アウト・ボーイに見つけられた。

プリンス、ランDMC、リヴィング・カラーの後、その曲のヒットに最も影響を受けたアーティストはマイケル・ジャクソンだった。残りのキャリアにおいて、マイケルは定期的にロック賛歌かぶれの曲を、それも頻繁に他のロック・ギターの神との共演で録音した。

だが、その後の労作はどれひとつとして《ビート・イット》ほど活力があったり、重要だったりしなかった。その曲はジミ・ヘンドリックスの死以降の年月においての最も重要な黒人ロック・レコードであり続けている。

☆yomodalite注:本書の内容をメモしているのは、この本の素晴らしさを紹介したいのではなくて『スリラー』最高傑作などの、MJへの音楽的評価の“類型”に対して「正気ですか?(by : ケンドー・コバヤシ)」とか「どうかしてるぜっ!(by : ブラマヨ)」って思ってるからです。

音楽リンクを追補したのは、音楽評論家が陥りやすい「評価の類型」が、どのような「心情」や「歴史観」から来ているものなのかという「パターン」を読み解く材料になればという思いと、各ミュージシャンの時代への試みは、評論家の浅薄な言葉や、歴史への傲慢さとは違って、ずっと尊いので。。。



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《ヒューマン・ネイチャー》

ステイプルズ・アリーナでの追悼式の出演者リストの中で、最も驚かされた名前はジョン・メイヤーのそれだった。

メイヤーは白人のギタリスト/歌手で、21世紀に入ってから最初のレコードを作った男である。彼は幾らかのソウルフルなサウンドのレコードを作ろうと試みてきたし、ブルーズの古典を数曲録音した。

だが、彼にはマイケルとの事実上の直接的なつながりはまったくなかった。

しかし、彼の世代(77年生まれ)の若者の一人残らずと同じく、メイヤーはマイケルの音楽と共に育った。ポップ・ソングとは何かについての考えの多くは『スリラー』を経由して学んだのだ。

ジャクソン家はメイヤーに連絡をとって、彼に《ヒューマン・ネイチャー》を歌ってほしいと頼み、結局、彼は歌うのはよそうと決心し、その代わりにそのメロディーをギターで弾くことを選んだ。意図したかどうかは別としても《ヒューマン・ネイチャー》の演奏にメイヤーを選択したことは、その曲の創作の中心にいた白人のポップ職人たちへの黙礼として機能した。

メイヤーは大衆にアピールする主流ポップ(ユア・ボディ・イズ・ア・ワンダーランド)の作り手であり、LAのスタジオ完璧主義の全盛期の痕跡を見出せる数少ない21世紀のスターの1人である。



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▲1984年、American Music Awards



TOTOは、LAの一流セッション奏者たちの集まりから成るポップバンドで、そういったスタイルの象徴というだけでなく『スリラー』の制作において音楽の中心的な役割も果たしたが、多くの批評家にとって、それはニューヨーク、ロンドン、その他あらゆるところのパンク・ロックの怒れる使者に、胸のむかつく思いをさせる如才ない大衆受けねらいのサウンドの象徴とした。ジャーニーやシカゴ、その他の70年代の一語だけの名前の中流白人的なバンドと共に、ロック評論家たちは、TOTOをひどく嫌った。

(TOTOのメンバーである)スティーブ・ルカサーは《ビート・イット》を編曲し、大半のギターを弾いた。クインシーは作詞家のジョン・ベティス(カーペンターズの《イエスタディ・ワンスモア》マドンナの《クレイジー・フォー・ユー》を書いた)の番号を引っ張りだし、マイルス・デイビスは《ヒューマン・ネイチャー》をカヴァーした。



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photo : Matthew Rolston(1984)



《P・Y・T(プリティ・ヤング・シング)》

クインシーの81年のアルバム『ザ・デュード』は、百万以上を売り、年間最優秀アルバムを含む5つのグラミー賞を獲得した。クインシーがイングラムのために選んだ方向性 ー 天性のソウル歌手による抑制されたバラード歌唱 ー は、80年代ポップの主要な商品となる。ライオネル・リッチーが70年代後半にコモドアーズのために作曲して歌ったバラード、《イージー》、《セイル・オン》がこの戦略の基礎を築いた。



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photo : Matthew Rolston(1984)



ピーチズ&ハーブの《リユナイテッド》、マンハッタンズの《シャイニング・スター》などのヒット曲は、その後のホイットニー・ヒューストンがとることになる道を切り開いたことがわかる。しかしながら、その見返りに感情を抑制した歌い方は作品の「面白みの無さ」を強調することにもなった。

◎Shining Star - The Manhattans(1976年)
◎Reunited - Peaches & Herb(1978年)

クインシーは、A&Mレコードを離れ、ワーナーが資金を提供した自分のレーベル「クウェスト」を設立し、《ハウ・ドゥ・ユー・キープ・ザ・ミュージック・プレイング》や、TVの昼メロ番組『ジェネラル・ホスピタル』で目立って使われた《ベイビー・カム・トゥ・ミー》といった曲でヒットを飛ばし続けた。






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Commented by pyt at 2011-01-03 13:43 x
謹賀新年☆

え~と、え~と、え~と。。
この本は買うかどうか、ずっと迷っていて、で、この記事で、内容と音楽を確認しつつ「買う」に心が傾きかけていたんだけど(笑)

そんな、素敵なyomodalite節で、今年も私たちを悩ませ(?)そして楽しませてくれることを期待しつつ。。(笑)個人的には、第3部の内容が楽しみ。

年末からのupお疲れ様、つづきも楽しみにしてます!!!
Commented by yomodalite at 2011-01-03 15:44
謹賀新年♡

「買う」に傾いていたのに、わたしの「怒り」発言でぐらついたと言う.....
そんなあなたに♪

◎http://www.youtube.com/watch?v=l33Lp2xco9I

このブロクの記録でも速攻わかるように、ファンが一丸となって総攻撃したいような内容じゃないし、すでに買った人と一緒に「音」情報を共有できたらいいな(^_^)って思っているんですけど。。。

でも、それとは別に、ときどき「表に出ろぃ!」っていうのも必要だなって思っていて....これって、相手にとって不足ない感じじゃん?吉岡さんも尊敬してるとか、なんとかテイラー・アウォードだし、、(笑)

尊敬する、池乃めだか師匠のように、デカイ相手に挑んで「今日はこれぐらいにしといたるわ」って言いたいんだよね♡

>個人的には、第3部の内容が楽しみ。

えっ、第3部まで、書くの???
Commented at 2011-01-03 17:01 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by yomodalite at 2011-01-03 18:54
この上の非公開コメントで「発売中の本の詳細をこんなに書いてしまってもいいのかチョット心配です」(←原文のママ)というコメントを頂きました。

読書ブログとして、著者の権利も、消費者としての読者の利益も考えなくてはいけないと思います。同様の「心配」をした経験は、わたしにもありますので、おっしゃられている意味はよくわかります。

音楽も、著作も「権利」が守られることは、大変重要だと思いますので、引用の範囲には注意しているつもりですが、ブログの文章としては、長めなので、ずいぶんたくさん引用していると思われたかもしれません。自分で面倒くさい(笑)だけでなく、購入者の方の権利が損なわれるのは不本意なので、コメントの後、また少し削りました(つづく)
Commented by yomodalite at 2011-01-03 18:54
(つづき)私自身がお金を払って、本を購入し、無料で内容の1部を公開しているということで、もしかしたら、他の購入者の方の「損」感情には、少し鈍感なところがあるかもしれませんが、そこは、本からは聴こえない、音楽リンクの「追補」で応えたいと思いました。

著書によって、その内容にかかった費用は様々ですが、出版社の利益、翻訳者、著者の利益に関して、本書へは、これで、ギリギリだと思っています。一部の方に期待されていますが、3部の内容まで、こんな感じで引用することはないと思います。

ご意見ありがとうございました!次回は、ぜひ非公開でなくコメントくださいませ。
Commented by pyt at 2011-01-03 21:39 x
私がこの本を買うかどうか迷っていたのは、ネット検索しても、読後レビューや感想がほとんど見あたらず、そういう意味で購入を躊躇していたという事情もあったので、今回の記事は、非常に参考になりました。「音」情報のおかげで、その時代背景がすっと頭に入ってきたり、その「音」を聞きながら、詳細内容まで想像して楽しめたので。

で、先ほどアマゾンポチってきました。
「信念を持ち続けよう!」ってMJが言ってるし(*^-^*)

>尊敬する、池乃めだか師匠のように.....って言いたいんだよね

内海桂子師匠のように、ご年配でありながら最新情報伝達機器wで、正論を呟ける人もステキ。
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by yomodalite | 2011-01-01 22:01 | ☆マイケルジャクソン書籍 | Trackback | Comments(6)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite