2009年 01月 20日
昭和天皇・マッカーサー会見(岩波現代文庫)/豊下楢彦 |
(2013.1.27追記)下記の本書の感想について振り返ってみて、自分のアホさ加減ばかりが目につくようになりました。また、コメント欄でも真摯なご意見をいただき、大変反省しております。
はたして「政治学」というものなのでしょうか? と疑問に思ったのは、それが現実の政治に影響を与えるものであって欲しいと思ったからで、昭和天皇とマッカーサーという外交分野で、日本の政治学者に考えて欲しいのは「日本の国益」だと思っていたからです。
もちろん、この国益ということを考えたとしても、待ったなしの政治の世界で、いつ、どの時点までを考慮すればいいのか。ということも、何が「益」なのかという問題もあります。
豊下氏の研究は大変真摯なものであっても、当時、読んだときには、私には「現実政治」に未来を感じることが出来ませんでした。外交なのに、歴史の真実をあぶり出すだけで、反省しても、学んでも、海外に「反射」することができないという、本書の内容から逸脱した、自分の勝手に飛躍した感傷に浸ってしまっていて、豊下氏への複雑な思いや、自分の「アホな感想」は、引用した天野氏が語ってくれている内容で、相殺されるかと甘えてもいました。
削除も考えましたが、自分への反省のため、このまま「さらしておくことにします。」
(追記終了)
『安保条約の成立—吉田外交と天皇外交』に続いて、本著を読みました。続いてといっても、前著の読書は去年の8月。前著も忍耐力を駆使した読書でしたが、今回も読了まで至極ツラかった。
2冊読もうと思ったのは、豊下氏の学者としての永年の研究にブレがないことを確認し、そのことを賞賛したい気持ちがあったのだけど、読了後はまったく逆の感想をもちました。
それを小声で簡単に言うと「いつまでやっとんねん。アホか!」ということでしょうか。
著者は政治学者らしいのですが、60年余年前の外交の現場での発言の中に「庶民レベルの良心」がないことが「政治的」に大問題であるかのように、ベラボーなページ数を使って、国益にならない「真実」を探り出そうとされている。
著者が文献から探り出そうとしているのは「文学」の領域のように思えるのですが、これが、はたして「政治学」というものなのでしょうか?
戦後すぐの条約を日本にとって改良するどころか、改悪の一途を辿った運用の歴史なら、今現在の日米安保に一石を投じることが可能かもしれないけど、条約というものは、時代時代で見直されたり、改変していって当然であり、一寸先は闇とも言われる「政治」の世界にも関わらず、著者は条約を「聖書」かなにかと勘違いされているのではないでしょうか。。。
戦後、昭和天皇に関する著作で、天皇への評価を下すに値する知性をもっていたのは、小室直樹と山本七平の両名以外には見当たらないように思います。お二人は共に昭和天皇擁護の立場ですが、その擁護姿勢に賛同しているのではなく、小室氏は「政治」、山本氏は「宗教」という確かなバックグラウンドからの発言であったからです。
アメリカの政治学者には、政治中枢に身を置いて、政治家になる人も少なくありませんが、豊下楢彦氏の仕事は果たして日本の「政治」に寄与しているんでしょうか?政治的センスのカケラもないように思えるのですが。。。
アメリカべったりの保守派の評論家や、原武史氏など「天皇」を飯の種にしている人たちは、なんだか、頭の悪そうな人たちばかりで、本当に暗い気持ちになります。
【目次】
第1章 「昭和天皇・マッカーサー会見」の歴史的位置
第2章 昭和天皇と「東条非難」
第3章 「松井文書」の会見記録を読み解く
第4章 戦後体制の形成と昭和天皇
_____________________________
【BOOKデータベース】 戦後史の謎であり続けた全一一回の極秘会談。二人が何を話したのか、その核心部分が、著者が解説した膨大な未解明の新資料によって初めて明らかにされた。両者の会談のみならず全米に対する昭和天皇の外交を精緻に描き出した本書は、戦後レジーム形成に天皇が極めて能動的に関与した衝撃の事実を描き出し、従来の昭和天皇像、戦後史観を根底から覆す。岩波書店 (2008/7/16)
下記は「天木直人のブログ」より
昭和天皇とマッカーサー
あなたは昭和天皇とマッカーサーが、二人だけで11回も会見した歴史的事実を知っていたか。
しかも、1947年に新憲法が施行され、天皇が象徴天皇となり、一切の政治に関与しないとされた後も、何度もマッカーサーと会って日本の戦後を規定する安保体制をマッカーサーに頼み込んでいた事を。(中略)
その著書は、部分的にしか公表されていない昭和天皇とマッカーサーの会見記録を丹念に読み解いて、一つの仮説を立てている。
すなわち、当時の吉田首相と外務官僚たちが必死になって安保条約を「五分五分の論理」で対等のものにしようと粘り強く交渉していた時に、その一方で昭和天皇がマッカーサーと二人だけで会談し、日本をソ連共産主義の脅威から守って欲しいと直訴する二重外交が行なわれていたのではないか、という推論を、当時京都大学の助教授であった国際政治学者の豊下楢彦はその著書で展開したのだ。
昭和天皇の戦争責任を語る時、我々はマッカーサー回顧録で明かされている昭和天皇のお言葉を通説として信じてきた。
「すべての責任は私にある、私の一身はどうなってもいい・・・」と言う例のお言葉である。
そしてそれに感動したマッカーサーが、天皇の免責を信じたと言う事になっている。
しかし、豊下の仮説は、それを根本的に覆すものである。(中略)
そして唸ってしまった。豊下の推論がさらに精緻に組み立てられていたのだ。(中略)
しかもその間に富田宮内庁長官の日記の公表などという新たな資料も出てきた。
そして何よりも安保体制そのものが、いまや日本をソ連共産主義から守る事から離れ、米国の戦争に追従する足かせのごとくなりつつある時代の変遷がある。
米軍駐留に基づいた安保体制の構築は、なによりもまず天皇制の防衛のためであった、その意味で安保体制こそ戦後日本のあらたな「国体」であった、と、豊下はその「はしがき」で言う。
この「昭和天皇・マッカーサー会見」という本は、おそらく豊下の覚悟を固めたライフワークに違いない。
日本国民必読の書である。
しかし私がそう言ってみたところで、何の影響力もない。それどころか、この本の価値をかえって下げるだろう。
そう思ってこのブログで書評を書くつもりはなかった。
ところが、今発売中の週刊文春(7月31日号)の書評欄で評論家の坪内祐三が絶賛している事を知った。
自分は知らなかった。昭和天皇とマッカーサーが11回も会って日本の将来を決めていたなんて・・・と。
坪内のような気鋭で保守派の論壇が、豊下のこの本を書評で取り上げて評価しているのだ。
その事をこのブログで紹介したかった。ただそれだけである。
「天木直人のブログ」
(前文略)〜賢明な読者は、私が豊下の著書の書評を借りて何が言いたいか、もうおわかりだろう。日米安保体制というものは、そもそもそれが成立した時点から改定される時に至るまで、一貫して日米の立場の違いのせめぎあいであり、そして最後は日本側が米国の要求に譲歩する、その産物であったということだ。
そして私が強調したい事は次の一点である。それから半世紀がたって、今米国は米軍再編と言う名の全く新しい日米軍事関係を求めるようになった。その新しい同盟関係のためには、本来ならばあらたな条約交渉が必要である。ところが、いつしか日米関係は、米国はもはや日本側との交渉すら必要としていないほど支配的になり、その日本は交渉する気迫をとうに失い、いかにして国民を欺いて米国の要求を丸呑みするかに腐心する情けない国になってしまった。その二つの国の不均等な関係こそ今の日米同盟関係なのだ。
そんな日本政府にとって、真実を指摘する豊下の新著は、百害あって一利なしということであろう。
「豊下楢彦という国際政治学者―その2」より
(前文略)〜その豊下の言葉を9月2日の朝日新聞「耕論」に見つけた。「テロ特措法延長反対」を論ずる豊下は、次のように述べている。そっくり私の言葉にしたいと思うほどである。
「・・・テロ特措法を延長すべきかどうか。この議論を進める前に、そもそも『テロとの戦い』とは何なのか、問い直す必要があろう・・・仮にアフガニスタンが『テロとの戦い』の主戦場であると言うのなら、なぜ日本政府は、ビンラディンの影響力を根絶しないまま始められたイラク戦争を支持したのか・・・タリバーンの復活はパキスタンを拠点にしているとも言われる。それならばなぜ、『パキスタン問題』に正面から取り組んでこなかったのであろうか。核も、ミサイルもあり、テロリストが跋扈しているパキスタンの方が、かつてのフセインのイラクより、はるかに『脅威』なのではないか・・・『核の闇市場の問題』を放置したまま、なぜ日本政府はパキスタンの核保有を認知したのであろうか。
『テロとの戦い』が叫ばれているが、では、その戦いに『勝つ』とはどういうことになるのか。具体的な展望は何一つ示されていない・・・軍事力だけでは勝てない事は、歴史的にみても明らかだ。だからこそ、安保理決議に基づいた国際治安支援部隊(ISAF)の参加国からも、戦争の意味自体について疑問が噴出しているのだ。
米国のように、今なお『文明と野蛮の戦い』のようなとらえ方をしていれば、泥沼にはまり込むだけだ・・・テロ特措法が延長されなければ、日米関係が危機に陥ると見る人もいよう。しかし、これは日本にとってはチャンスでもある。日本外交の進路を、日米安保を最優先するか、安保理決議を重視するか、という二者択一に絞ることは不毛だ。
が、日米関係の歴史を踏まえつつ、独自の建設的な外交戦略をもつことだ・・・今回の問題を、日本がどういう戦略を持つか、自分の頭で考えるチャンスだ、ととらえたい。
はたして「政治学」というものなのでしょうか? と疑問に思ったのは、それが現実の政治に影響を与えるものであって欲しいと思ったからで、昭和天皇とマッカーサーという外交分野で、日本の政治学者に考えて欲しいのは「日本の国益」だと思っていたからです。
もちろん、この国益ということを考えたとしても、待ったなしの政治の世界で、いつ、どの時点までを考慮すればいいのか。ということも、何が「益」なのかという問題もあります。
豊下氏の研究は大変真摯なものであっても、当時、読んだときには、私には「現実政治」に未来を感じることが出来ませんでした。外交なのに、歴史の真実をあぶり出すだけで、反省しても、学んでも、海外に「反射」することができないという、本書の内容から逸脱した、自分の勝手に飛躍した感傷に浸ってしまっていて、豊下氏への複雑な思いや、自分の「アホな感想」は、引用した天野氏が語ってくれている内容で、相殺されるかと甘えてもいました。
削除も考えましたが、自分への反省のため、このまま「さらしておくことにします。」
(追記終了)
『安保条約の成立—吉田外交と天皇外交』に続いて、本著を読みました。続いてといっても、前著の読書は去年の8月。前著も忍耐力を駆使した読書でしたが、今回も読了まで至極ツラかった。
2冊読もうと思ったのは、豊下氏の学者としての永年の研究にブレがないことを確認し、そのことを賞賛したい気持ちがあったのだけど、読了後はまったく逆の感想をもちました。
それを小声で簡単に言うと「いつまでやっとんねん。アホか!」ということでしょうか。
著者は政治学者らしいのですが、60年余年前の外交の現場での発言の中に「庶民レベルの良心」がないことが「政治的」に大問題であるかのように、ベラボーなページ数を使って、国益にならない「真実」を探り出そうとされている。
著者が文献から探り出そうとしているのは「文学」の領域のように思えるのですが、これが、はたして「政治学」というものなのでしょうか?
戦後すぐの条約を日本にとって改良するどころか、改悪の一途を辿った運用の歴史なら、今現在の日米安保に一石を投じることが可能かもしれないけど、条約というものは、時代時代で見直されたり、改変していって当然であり、一寸先は闇とも言われる「政治」の世界にも関わらず、著者は条約を「聖書」かなにかと勘違いされているのではないでしょうか。。。
戦後、昭和天皇に関する著作で、天皇への評価を下すに値する知性をもっていたのは、小室直樹と山本七平の両名以外には見当たらないように思います。お二人は共に昭和天皇擁護の立場ですが、その擁護姿勢に賛同しているのではなく、小室氏は「政治」、山本氏は「宗教」という確かなバックグラウンドからの発言であったからです。
アメリカの政治学者には、政治中枢に身を置いて、政治家になる人も少なくありませんが、豊下楢彦氏の仕事は果たして日本の「政治」に寄与しているんでしょうか?政治的センスのカケラもないように思えるのですが。。。
アメリカべったりの保守派の評論家や、原武史氏など「天皇」を飯の種にしている人たちは、なんだか、頭の悪そうな人たちばかりで、本当に暗い気持ちになります。
【目次】
第1章 「昭和天皇・マッカーサー会見」の歴史的位置
第2章 昭和天皇と「東条非難」
第3章 「松井文書」の会見記録を読み解く
第4章 戦後体制の形成と昭和天皇
_____________________________
【BOOKデータベース】 戦後史の謎であり続けた全一一回の極秘会談。二人が何を話したのか、その核心部分が、著者が解説した膨大な未解明の新資料によって初めて明らかにされた。両者の会談のみならず全米に対する昭和天皇の外交を精緻に描き出した本書は、戦後レジーム形成に天皇が極めて能動的に関与した衝撃の事実を描き出し、従来の昭和天皇像、戦後史観を根底から覆す。岩波書店 (2008/7/16)
下記は「天木直人のブログ」より
昭和天皇とマッカーサー
あなたは昭和天皇とマッカーサーが、二人だけで11回も会見した歴史的事実を知っていたか。
しかも、1947年に新憲法が施行され、天皇が象徴天皇となり、一切の政治に関与しないとされた後も、何度もマッカーサーと会って日本の戦後を規定する安保体制をマッカーサーに頼み込んでいた事を。(中略)
その著書は、部分的にしか公表されていない昭和天皇とマッカーサーの会見記録を丹念に読み解いて、一つの仮説を立てている。
すなわち、当時の吉田首相と外務官僚たちが必死になって安保条約を「五分五分の論理」で対等のものにしようと粘り強く交渉していた時に、その一方で昭和天皇がマッカーサーと二人だけで会談し、日本をソ連共産主義の脅威から守って欲しいと直訴する二重外交が行なわれていたのではないか、という推論を、当時京都大学の助教授であった国際政治学者の豊下楢彦はその著書で展開したのだ。
昭和天皇の戦争責任を語る時、我々はマッカーサー回顧録で明かされている昭和天皇のお言葉を通説として信じてきた。
「すべての責任は私にある、私の一身はどうなってもいい・・・」と言う例のお言葉である。
そしてそれに感動したマッカーサーが、天皇の免責を信じたと言う事になっている。
しかし、豊下の仮説は、それを根本的に覆すものである。(中略)
そして唸ってしまった。豊下の推論がさらに精緻に組み立てられていたのだ。(中略)
しかもその間に富田宮内庁長官の日記の公表などという新たな資料も出てきた。
そして何よりも安保体制そのものが、いまや日本をソ連共産主義から守る事から離れ、米国の戦争に追従する足かせのごとくなりつつある時代の変遷がある。
米軍駐留に基づいた安保体制の構築は、なによりもまず天皇制の防衛のためであった、その意味で安保体制こそ戦後日本のあらたな「国体」であった、と、豊下はその「はしがき」で言う。
この「昭和天皇・マッカーサー会見」という本は、おそらく豊下の覚悟を固めたライフワークに違いない。
日本国民必読の書である。
しかし私がそう言ってみたところで、何の影響力もない。それどころか、この本の価値をかえって下げるだろう。
そう思ってこのブログで書評を書くつもりはなかった。
ところが、今発売中の週刊文春(7月31日号)の書評欄で評論家の坪内祐三が絶賛している事を知った。
自分は知らなかった。昭和天皇とマッカーサーが11回も会って日本の将来を決めていたなんて・・・と。
坪内のような気鋭で保守派の論壇が、豊下のこの本を書評で取り上げて評価しているのだ。
その事をこのブログで紹介したかった。ただそれだけである。
「天木直人のブログ」
(前文略)〜賢明な読者は、私が豊下の著書の書評を借りて何が言いたいか、もうおわかりだろう。日米安保体制というものは、そもそもそれが成立した時点から改定される時に至るまで、一貫して日米の立場の違いのせめぎあいであり、そして最後は日本側が米国の要求に譲歩する、その産物であったということだ。
そして私が強調したい事は次の一点である。それから半世紀がたって、今米国は米軍再編と言う名の全く新しい日米軍事関係を求めるようになった。その新しい同盟関係のためには、本来ならばあらたな条約交渉が必要である。ところが、いつしか日米関係は、米国はもはや日本側との交渉すら必要としていないほど支配的になり、その日本は交渉する気迫をとうに失い、いかにして国民を欺いて米国の要求を丸呑みするかに腐心する情けない国になってしまった。その二つの国の不均等な関係こそ今の日米同盟関係なのだ。
そんな日本政府にとって、真実を指摘する豊下の新著は、百害あって一利なしということであろう。
「豊下楢彦という国際政治学者―その2」より
(前文略)〜その豊下の言葉を9月2日の朝日新聞「耕論」に見つけた。「テロ特措法延長反対」を論ずる豊下は、次のように述べている。そっくり私の言葉にしたいと思うほどである。
「・・・テロ特措法を延長すべきかどうか。この議論を進める前に、そもそも『テロとの戦い』とは何なのか、問い直す必要があろう・・・仮にアフガニスタンが『テロとの戦い』の主戦場であると言うのなら、なぜ日本政府は、ビンラディンの影響力を根絶しないまま始められたイラク戦争を支持したのか・・・タリバーンの復活はパキスタンを拠点にしているとも言われる。それならばなぜ、『パキスタン問題』に正面から取り組んでこなかったのであろうか。核も、ミサイルもあり、テロリストが跋扈しているパキスタンの方が、かつてのフセインのイラクより、はるかに『脅威』なのではないか・・・『核の闇市場の問題』を放置したまま、なぜ日本政府はパキスタンの核保有を認知したのであろうか。
『テロとの戦い』が叫ばれているが、では、その戦いに『勝つ』とはどういうことになるのか。具体的な展望は何一つ示されていない・・・軍事力だけでは勝てない事は、歴史的にみても明らかだ。だからこそ、安保理決議に基づいた国際治安支援部隊(ISAF)の参加国からも、戦争の意味自体について疑問が噴出しているのだ。
米国のように、今なお『文明と野蛮の戦い』のようなとらえ方をしていれば、泥沼にはまり込むだけだ・・・テロ特措法が延長されなければ、日米関係が危機に陥ると見る人もいよう。しかし、これは日本にとってはチャンスでもある。日本外交の進路を、日米安保を最優先するか、安保理決議を重視するか、という二者択一に絞ることは不毛だ。
が、日米関係の歴史を踏まえつつ、独自の建設的な外交戦略をもつことだ・・・今回の問題を、日本がどういう戦略を持つか、自分の頭で考えるチャンスだ、ととらえたい。
by yomodalite
| 2009-01-20 14:05
| 天皇・皇室
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Comments(3)
Commented
by
オプティミスト
at 2013-01-27 10:05
x
>著者が文献から探り出そうとしているのは「文学」の領域のように思えるのですが、これが、はたして「政治学」というものなのでしょうか?
貴女は、真の歴史学や政治学すなわち仮説を立ててそれを歴史的文献によって検証するという方法論を理解していないようですね。
我々は、隠された真実を正々堂々と議論していく中から我々の立ち位置を確認しつつ、前進していく必要があると思います。誤った過去の理解を元に現在や将来を語ることは出来ないのではないでしょうか。
貴方の他のブログの記事と比べて、大変大きな違和感を感じます。
貴女は、真の歴史学や政治学すなわち仮説を立ててそれを歴史的文献によって検証するという方法論を理解していないようですね。
我々は、隠された真実を正々堂々と議論していく中から我々の立ち位置を確認しつつ、前進していく必要があると思います。誤った過去の理解を元に現在や将来を語ることは出来ないのではないでしょうか。
貴方の他のブログの記事と比べて、大変大きな違和感を感じます。
0
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yomodalite at 2013-01-27 10:51
オプティミストさん、コメントありがとうございます!
>貴方の他のブログの記事と比べて、大変大きな違和感を感じます。
他の記事まで読んでくださってご意見をいただけたこと、とても有り難く思います。
>真の歴史学や政治学すなわち仮説を立てて。。。出来ないのではないでしょうか。
そのとおりだと思います。これを書いた頃の私は、今よりもさらにさらに「アホ」でした。今、昭和天皇を批判したところで、、という思いも強かったし、それが結局は「日本解体」に繋がり、外国の別の大きな「神」に呑み込まれるだけで、、という思いでした。
また、これを書いたときは、まさか自分が書いたものが、数多く検索されるとも思ってもおらず、ブログに対しても無責任であったことも否めません。何年もこの稚拙な感想が読まれていることに気づき、頭を抱えてはいたものの、それでも、書き換えることも、削除することも出来ず、放置しておりました。
>貴方の他のブログの記事と比べて、大変大きな違和感を感じます。
他の記事まで読んでくださってご意見をいただけたこと、とても有り難く思います。
>真の歴史学や政治学すなわち仮説を立てて。。。出来ないのではないでしょうか。
そのとおりだと思います。これを書いた頃の私は、今よりもさらにさらに「アホ」でした。今、昭和天皇を批判したところで、、という思いも強かったし、それが結局は「日本解体」に繋がり、外国の別の大きな「神」に呑み込まれるだけで、、という思いでした。
また、これを書いたときは、まさか自分が書いたものが、数多く検索されるとも思ってもおらず、ブログに対しても無責任であったことも否めません。何年もこの稚拙な感想が読まれていることに気づき、頭を抱えてはいたものの、それでも、書き換えることも、削除することも出来ず、放置しておりました。
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yomodalite at 2013-01-27 10:51
オプティミストさんのご意見を読んで、再度、削除と、訂正を考えてみましたが、現在の私には、再度この本を読み直す気力はありません。また、削除してしまうと、オプティミストさんからの貴重なコメントも消えてしまいます。
なので、、文章の最後に、この文章に対する反省として「コメント欄をお読みください」を追加しようと思います。
再度、真摯な感想を書いてくださったことに感謝いたします。今後ともご指導、ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。
なので、、文章の最後に、この文章に対する反省として「コメント欄をお読みください」を追加しようと思います。
再度、真摯な感想を書いてくださったことに感謝いたします。今後ともご指導、ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げます。